ニンゲン

どうでもいいことに忙殺されているかもしれないが、ニンゲンである以上、ニンゲンという動物が本来持つものがあると思っている。

それを忘れない人は、無意味な争いや、(これは物理的な争いではなくSNS 上で大人たちが日々繰り広げる、自分の方がいかに優位かを見せ合う行為も含む)善人仮面を被ることはなく(人々には仮面だとバレているから無駄)

世間体を気にして自分の人生の選択をし、たくさんの殺戮をして繋いできた己の命を無駄に使うことはしないと考えている。

現代、絶滅に向かって自然淘汰されるべき方向に向かっているものも、ニンゲンのなかには既に存在していると思っている。日本を楽観視することは私にはできない。

 

私の息子は脊髄損傷でダメになった神経、それも一日に1ミリしか伸びないといわれた神経を、半年で階段を上るまでにつくりあげた。本人いわく、今までに使っていない、眠っていたような、新しい神経を使った感覚らしい。

 

退化しかかっているかのようにみえる、つまり諦めかけたこの国の人々の瞳も、一度スイッチが入れば、キラキラした煌めいた瞳に変わる可能性はあると私は思う。

 

日々を誤魔化しながら生きていれば、己は死ぬまでなんとか持ちこたえるかもしれない。自分さえよければいいというその想いは果たせるかもしれない。

 

しかし今後子孫はその誤魔化しすら通用しない世界に住む可能性もあり、生物が生まれて必ず死ぬように、ニンゲンという種も必ず絶滅に向かうならば(だから、すべては無意味ともいえるが)物質的なものによる誤魔化しではなく、たとえ短命で終わるとしても、満足した瞳で死んでいけるような世界に、これだけ勉強とやらをしてきた先進国民ならば変革を起こせるのではないかという希望が少なからず自分の中にのこる。

 

恐怖によって人を疑い、助け合うことよりもいかに自分を優位に見せるかにエネルギーを注ぎ、知識で武装し、肩書で武装し、それがとても陳腐に見えるのは私だけなんだろうか?

 

勉強とやらに長い年月をかけて手に入れたものが戦い方なのだという、システムの洗脳を疑う人はいないのだろうか?

 

誰かに何かをやってもらわないと生きていけないというのは本当だろうか?
自分にはなにもできないというのは本当だろうか?

 

都合が悪ければ親は子どもさえ棄てる。世間体とやらで棄てたりする。

 

野性動物の自然淘汰を考えるなら、足手まといの子どもを置いていく行為は自然かもしれないが、考えることができる「ニンゲン」なのであれば、野性動物とは異なる解決法を考え出すことが可能だと信じたい。同じ屋根の下にいなくとも、子どもを棄てずに生きることは可能だ。

 

せめて我が子とくらいは信じ合えと言いたい。

一人でいいから他人とも信じ合えと言いたい。

 

「理想と現実はちがう」という大半のニンゲンの言葉は、理想は分かっているけど諦めてるからそうしないのだという選択がみてとれる。つまり、理想は何かを分かっているということなのだ。

 

だから同じような映画に感動し、同じような歌に感動し、同じような悪を一斉に攻撃する。

 

本来は映画や芸能人や政治家のスキャンダルで、自分の隠れた真意を誤魔化すべきではなく、その秘めたる大義を表に出すことで、誰しもが持つ心の中に圧縮された光を放つことができると思われる。

 

何かに癒されるよりも、癒されなければいけない自分の真意を放つことが先決で、先人が続けてきた表面的な誤魔化しの継承をそろそろやめていかないと子孫は絶えるかもしれない。

 

金がなければなにもできないというニンゲンは、ニンゲンを信じていない証だ。金がなくても信じあって助け合うことができれば、ニンゲンは生きていける。

 

私たちは単なる動物なのだから。

 

ニンゲンだけが、そうであるはずがない。「これしか無理なのだ」というシステムに洗脳されて、自分も我が子さえも洗脳して生きている。

 

もしも大半の人が、そうでない方法にシフトしたら、世の中は変わるだろう。

 

誰も優位に立たなくても、それぞれに得意なことはある。馬からみれば、私たちはみな同類のニンゲンであり、鳥から見ても私達はみな同類のニンゲンである。地球から見れば、ある日わいて出てきた生物の一種である。

 

そんなニンゲンの一部が特別であることはなく、誰しも大差ない。

 

誰かに誰かの人生を強制することはできない。
奴隷が好きな人はその道を選べばいいし、自分が死ぬまで持ちこたえたらいいのだという人はそれでいい。
優位に立つために、自分達の思想は大衆には絶対に教えないという人はその地位を守り抜くことに必死で生きていくだろう。

 

義務教育を私がうける税金のために働いてくれた誰か、殺戮されて血肉となった動植物、日本に利用されて間接的に死んでいった途上国の人々。日本に生まれた私一人を生かすために、どれほど多くの命を私は殺してきたのかを自覚しているから、その命に対する返礼のために生きる。

 

かりゆし58のサヨナラという歌にこうある

♪僕が生きる今日は

もっと生きたかった誰かの

明日かもしれないから♪

 

 

この言葉がいつも心に深くささる

 

 

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