自信について

自信ときいて、皆さんはどう感じていますか?

自信を持つこと、覚悟を決めること、自分で責任をとること、自分を生きること。

それらはみな、同じ意味合いを持っているような気がしています。

 

言葉の概念というものは

同じ母語を使っていたとしても一つに定義されるものではなく、真摯に伝えるならば、抽象的なものでしか伝わらないと考えています。

 

言葉をきっかけとして、その人の放つオーラやエネルギーで読みとっていくことが、具体的な言葉よりもずっと確実なのです。

 

殆どの人は先入観を取り払うことはできず、ゼロベースで他者を見ることが怖くてしかたないように見えます。

 

自分の人生なのに、自分で決めることもできずにいる人がいます。

つまり、

自分に自信を持てない
自分を信じていない

ということです。

自分さえ信じていない自分を、他者は当然信じることはできません。

 

殆どの人は自分の言葉で話しているのではなく、どこかで聞き覚えのある「台詞」を話しています。

台詞なのか、その人の言葉なのかを見分ける方法はいたって簡単で、その思考の道筋を辿ることができるかどうかということです。

 

当然人は、台詞に価値を感じません。

 

自分がそれに違和感をおぼえているので、私はできるだけ、どこからかのコピー&ペーストをしないように自分の価値観を話すよう努力しています。

 

たとえば、生き方という点において私が持つイメージは

 

人からの賞賛を浴びたいとか、人間に限られた、それも先進国由来のシステム内の形式に特化したものを手に入れることなどの、狭義的な視野の中での達成感よりも、もっと広義的な、ガイア理論的な達成を目指すというところに価値を見いだしています。

 

誰かにわかっていただくとか、そうでないとかはどうでもよくて、響堂雪乃さんのいうところの「創造性孤独」にとても惹かれているのです。

 

自信とは自分を信じることである

 

これは、自分がどう生きるかということにフォーカスしたもので、他者は一切ここに関与できないものであると考えています。

 

悔いなき人生に必要なのは、最期の瞬間まで貫けるようなもので、自分が価値あると感じたもの、大切な存在、万物に対してどれだけ愛して、命の時間をそこに費やしたかであると思っています。

 

今まで生きてきて、様々な意見を傾聴してきましたが、どうやってもここはブレることのないもので、数えきれない命を犠牲にして生きている自分の命を一切無駄にしないためには、徹底的な利己が基盤になるのだと思います。

 

石井ゆかりさんの言葉にこんなものがありました。

 

限りなく純度の高い「利己」は
同じく純度の高い「利他」につながる

 

 

まさにそうなのかもしれません。

純度の高い利己を目指してみようと思います。

 

今日も皆さんありがとう。

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