差別

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広い意味での差別について考えてみました。

たとえば……男女もそうだし、年齢もそう。肩書で判断したり、学歴で判断したり。人と同じパターンで生きるか、マイノリティで生きるかとか。障害があるとかないとか。銀行の通帳の印字の桁が多いとか少ないとか。実家が大きいとか小さいとか。国籍がどうだとか。有名だとかそうでないとか。

その個人がどんな人なのかもあまり関係なくて、時にその差別の指標も二転三転しているように見得る場合があります。

婚姻届を出さずに数十人とセックスする女性は初婚だから正常で、セックスした男三人とそれぞれ婚姻届を出した私はバツがついて障害だと言われたり……

差別の基準もどこにあるのか、よくわかりません(笑)

多分、差別する人って、自分を劣性だと定義してるんでしょうね。誰よりも優劣を決めているからこそ、とにかく自分より劣性だと思う人を攻撃して、自分を優位だと「思い込みたい」ように見えます。

引き寄せの法則なんていう言葉がありますが、類は友を呼ぶというのも同様ですし、潜在的に望んでいたら、同じようなたぐいの人といるのが心地よくなり、その人を正当化することで自分を正当化するのがヒトというものなのでしょう。

だから真逆の世界観の人とは、抵抗が生じますよね。イライラするし(笑)あれは、自分を否定されているかのように勘違いして闘っているんですよね。誰も否定していなくても。

それがおかしいってことではなく、正当化すればいいと思うんですよ。自分勝手に。ひとりでに。心地良い人とつるめばいいと思うのです。それぞれ幸せでいるために。

だから、他者に強要したり「あなたはおかしい」などと胸はって言うことは、いささか滑稽にみえてしまいます。

でも、なぜか世界観の異なる人とは居心地が良くありません(笑)だから、たくさんの人と心地よく生きていこうと思うなら、徹底的に自分の器を大きくすることしかないのだと思います。

それができない人は、自分の気に入った人とだけ生きていく方法を考えればいいのだと思います。

視座を大きくしたりすることなく、多くの人と交わることを望むのは、狂気の沙汰なのかもしれません。

差別をして自分を優位にしたとしても、決して優位に立っているように第三者からは見えないので、多分それで優位になることは、真の意味では無理なのだろうなと思います。

無意味な差別や正当化はなるたけやめて、素直に自分の好き嫌いを認めて生きたいものですね。

今日も皆さんありがとう。

 

 

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