随筆 11

すべては循環……

命なんて単なる循環の一部なんだ……

そんなことはよくよくわかっている。

公園に横たわる

セミの死骸をいくつも見ながら通り過ぎるとき、どうしてこんなに切なくなるのだろう。

きっと、土の中で私達の知らない間に、何者かに食べられて死んでしまったり、成虫になれずに土になったものもいるのだろう。

私達ニンゲンも寿命はそれぞれだけど、生まれて死ぬだけの単なる循環で、ホモ・サピエンスという生物でみたとしても、いつか必ず絶滅するという流れの中の一部である。

なのになぜ、命は、こんなにも悲しく切なく、愛おしく、美しいのか。

何かを独占することや、同じホモ・サピエンスの中の誰かに勝つことなんてどうでも良い。せっかく、この世界の一部として生を受けたのだから、どんな環境下であったとしても精一杯命を燃やしたい。

長く生きることよりも、大切なことは愛し合って分け合って、最期の瞬間に良かったと言えることだと私は思う。

疑いあって、奪い合って、独占して、支配して、それで幸せなんて、私にはそうは見えない。満たされる何かがなくて、物質や他のことで心の穴を埋めようとしているんじゃないのかなって。だって、愛されて不幸そうな顔する人など見たことなくて、老若男女、愛し愛されていたなら、みんな幸せそうに見えるから……

映画の同じようなシーンに感動して多くの人が涙を流すなら、皆そのように生きればいい。ヒットした曲の歌詞や、ベストセラーの本の内容に感動するなら、きっと、人々の心の奥底には同じような幸せの種があるのだろう。

もしもそれが一人で叶えられなければ、家族と共に、家族と叶えられなかったなら、他人と叶えることも可能で、日本人と叶えられなかったなら、他国の人と叶えればいい……ニンゲンと無理なら相手は動物でもいいわけで。

なにかを羨んだり、妬んだり、闘ったり奪うために、まだ生きたいと思っている生物を殺して自分の血肉にするなんて、同じ地球の仲間として申し訳ない。その命を自分の細胞にしていくなら、やっぱり平和な世界を創るために使いたい。

大きなことをしなくても、自分がそう生きることができたなら、助け合う気持ちを持てたなら、この世界は瞬時に平和になる。

 

単なる循環かもしれない。同種間の殺し合いも、地球から見れば自然淘汰かもしれない。

それでもやはり、考えられる知能を持っているのだから、美しい世界に生きて死にたい。

ニンゲンには真実などわかることはないと思っているからこそ、やってみなくてはわからないことは、やってみるしかない。

出会いは幸せのためでありたい。

そして、生命を自分の血肉にするなら、それを決して無駄にしないよう……今日死んでもいいように生きていたい。

 

 

 

 

 

 

 

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