随筆 6

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毎日同じような時刻に起きて、同じ会社や学校に行って、それが数え切れないほどの多くの日本人のパターンだとしたなら、誰もそこに疑問を感じることはなくなるのだろう。

そのうちに、それが永遠に続くかのように錯覚し、自分を過信して、自分だけはいつまでもこの世と別れのこない特別な存在だと思い込む。

家族のことさえ、特別な存在だと思い込む。

ネガティブだと自己評価を下しながら、楽天的に20年後も元気で生きていることを想定して、夢を語っている。

いや、夢は確かに聞いていて楽しい。生きることを、何かで意味づけしたがるニンゲンには、日々を笑って生きるためのもってこいのネタだ。かくいう私もファンタジーを創造して、未来がそうなるかどうか遊びのように試している。

そうして、きっと雄大な自然も知らずに死んでいくのだ。ケージにいれられたハムスターのように……

それしか方法がないと思うのだ。リードで繋がれた散歩犬のように。

同じ地球の一部として生まれたのに、かたやサバンナを誰にも邪魔されずに歩き、かたや家畜小屋のようなマンションの中にひしめきあって生きている。この土地は俺のものだと、次々に奪うホモ・サピエンスと、ケニアとタンザニアを行き来する同じサピエンスのマサイ族。このような現実を目の当たりにする人としない人では何かが違う。

地球は人間のものではない。海は誰のものでもない。土も誰のものでもない。

とうして一部のニンゲンはそんなに物が欲しいのだろう。そんなに支配したいのだろう。どこまでいったら満足するのだろう。

何に勝ちたいのだろう。

闘う人は既に負けている。負けているから闘いたくなるのだろう。

支配したがるものは、支配されている。生命はなんの強制もうけない自由なものなのだということを理解していないのかもしれない。

役割は自分から欲するものではなく、自然発生的にそこに在るものだ。それに抵抗することなく、自己の役割に徹することは、目が目として機能することや、指が指として機能することと似ている。指が足になりたいと言っても違和感はのこるし、目を腸内フローラにしても、最善の働きができないはずだ。

自己の存在意義を抵抗なく純粋に受け容れるとき、それが一部のホモ・サピエンスの世界で賞賛されなくても、なんの問題もない。

あなたも隣人も、どんな成功者も偉人も、食って寝て交尾して出している。それだけだ。大差はない。

この世界のシステムも誰かが創ったお話である。小説好きな人が世界中に広がって、その小説が実話になったようなものだ。どんな映画よりもヒットした作品の中で、私達は生きている。

だけど、視野は360’度、無限大に拡がっていることを忘れてはいけない。

 

あなたの人生はあなたのもの。

私の人生は私だけのもの。

 

 

 

 

 

 

 

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