天才 秀才 凡人

科学とは明日変わるかもしれない不確かなもの

エビデンスに拘るのではなく、自分自身の五感を研ぎ澄ませて判断しましょう。

それを裏付けすることが「エビデンスのようなもの」になります。

 

聡明な研究者によって判明したことが数えきれないほどあって、その知を授けていただくことは、知的好奇心という欲を捨てきれない私にとっても、深く感謝すべきものです。

 

論文を書く人はクリエイターだと思えたのは、畏友との出逢いによってです。

 

科学者でありながら

「クリエイティビティなもの以外は一切そばに置きたくない」

と彼は言い切っていました。なるほど、仮説を立てることは確かにクリエイターの仕事であるなと。

 

興味深いブログををみつけました。とても面白い内容でした。

 

「凡人が天才を殺すことがある理由」

 

理解できない→怖い→排除

という構図はよくあるものです。

 

いつの時代も先行く人を理解することなど同じ天才にしかできないのでしょう。これを書いた人、もしくは考えた人って天才ですね(笑)

 

もしも共感して助けてくれる人がいない天才は、ダイレクトに天才を捜しましょう。国を越えて。マイノリティは数が集まれば「マイノリティ」ではなく「集団」になりますから。

 

企業の人事について意見を述べてらっしゃいますが、少しこのブログの筆者とは違うかもしれませんが、私も年功序列などとっぱらって、若手とおじさんは組んでいくべきだと思います。

 

若者の味方でもなく、おじさんの味方でもありません。

 

互いに文句を陰で言い合ったり、張り合ったりするのをやめて、どちらにも必ずある「特徴」を認めてお互いに融合し「新しいもの」を生み出していけばいいと思うのです。

 

地球も歳をとりました。

 

環境は古代と同じではないし、日本人の身体なんて化学物質が入っていないニンゲンなどただの一人もいないでしょう。大気も変化し、海も変化しているし、すでに絶滅した種もいます。「昔のまま」では未来は立ち行かないし、老人の話を「古い」と嘲笑する若者もまた陳腐です。

 

現時点まで授かってきた「知」をどう融合し創造するか。

 

その時に留意すべき点は、科学的なエビデンスもそうですが、現代のニンゲンの「創造したもの」を妄信しないことです。絶対に大丈夫、なんてものはニンゲンが創ったものにはないと思っているので。宇宙の中の地球を一つの生命体とみるならば。何一つ変化しないものはないと思われます。

 

しなやかに変化し、進化していくのが自然の摂理でしょう。自然の摂理に反すれば、いつも何かしら不具合が起きているように見えます。

 

インターネットで何事も済んでしまう時代ですが、確かな記憶はUSBではなく、頭の中に落とし込んでおきたいものです。(自分だけでは脳が都合よく書き換えてしまうので信頼のおける数人でシェアするのが最善ですね)

 

大事な記録はコピーではなく、例えば和紙などに炭で書き留めておけば最高ですね。どこかの山にプラスティックではない腐敗しない容器にいれて、深く埋めてしまいましょう。

 

デジタルではなくアナログが確かだということはまだまだあると思います。食事もそうです。

 

機械を通った食べ物は確かに腹を膨らませるかもしれません。きちんと手間暇かけてつくられた食べ物を腹に入れる人と同じ細胞でしょうか?

 

地球の海の底や北極の気温が少しずつ変化しているということは、ホモサピエンスの細胞の働きも少しずつ変化しているのかもしれません。

 

今や先進国にみられる様々な病は「病」ではなく、細胞の働きが変化したニンゲンの「スタンダード」かもしれません。

 

言語も微妙に変化しています。

 

「いとおかし」

と現代の日本人が話さないのはそういうことです。

 

さてこの変化に流されていく凡人を選ぶのか?

誰かのお話を信じて知識を習得する秀才になるのか?

新しい世界のシナリオを描く天才になるのか?

 

どれも自由、優劣はない。正誤もありませんね。

 

ただ生きて死ぬだけの世界に、それこそこうしてクリエイティビティに考えて意味付けするだけの行為です。

 

世の中って、ニンゲンって本当に面白いですね。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

Sponsored Link
Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です