逆境をどう乗り越えたのか

若いころから「波乱万丈」と大人に言われた。

10代で死ぬかもしれないと宣告されていたこともあるし

同居していたのは実の祖母ではなく、亡くなった祖父の愛人で、私たちはその人を「おばあちゃん」と呼んでいた。

病弱だった私は幼稚園から小学校の三年生くらいまでは休みがちで、体育も禁止されていた年もあった。

父母の生い立ちはどちらも普通ではなく、私も実は少々複雑だ。

小学生の時、大人に身体を触られたりして、性欲を満たすために知りあいの子どもまで触りたくなる低俗な生き物が男なのかと思った。自分一人でなんとか解決したが、結婚するまでつきまとわれた。

友人の母親たちが「あの子と遊んではいけません」と子どもに指示している姿をみて、こうやって母親は「勉強の出来不出来」や「金のあるなし」で人間の優劣を子供に刷り込んでいくのだなと思った。

病弱でおとなしかった私はあまり外では遊べず、低学年の頃はよくいじめられた。社会に出てからも人とは違った考えを持つと、悉く敬遠された。

「ルーツ」というドラマを観ていたのは低学年の頃。あの優劣のつけ方に嫌悪感をおぼえた。

 

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自然との暮らしの方がずっといいように感じて、土が見えないアスファルトの道をながめ、このままで地球は大丈夫なのだろうかと考えた。だけど、正直田舎暮らしは望まなかった。この鬱屈とした気分を晴らすには、若いころは都会の方が便利だった。

就職した一部上場企業は結婚退職し、半年間アルバイトをしただけの会社の社長が「伝説の人」といって私を10年間離婚するまで待ってくれていた。その結婚生活の途中、25歳で耳がよく聞こえなくなり、ストレスがなくならない限りなおらないといわれ、28歳で離婚した。

再婚は9歳年下の相手、バツイチということで「金目当て」だと言われ、夫は財産放棄させられ勘当されて入籍した。(のちに私から縁を繋ぎ、彼らの関係は戻っている)

長男と次男ともうまくやってくれていたが、男女としては価値観がかけ離れすぎていて、長男の事故をきっかけに離婚をきめる。円満離婚するために二年を費やした。

 

私にとっては、これらは祖先から続くものや、自分の置かれた運命、または思い込みによる自分の対処法のマズさからくるもので、離婚においても相手のせいだとは考えず、責任は同等だと捉え裁判などおこしていない。

病気は結婚後、自分で管理し治してきた。

中学生の頃だったと思う。嫌なことが多すぎて、どうやってそれを消し去るか考えた。

簡単だった。自分自身が自分の肉体から離脱して宇宙に行くのである。宇宙から客観的に自分の存在を見た。

それは今すぐに自分が消えても何の問題もおこらないくらい、ちっぽけなものだった。そんなちっぽけ存在が悩むことなんて、とるに足らないようなもの。そう思った時、すべてが綺麗に消えた。

ジタバタすることさえ無意味に思えて、過去はさっさと置いて進むほうにエネルギーを注ごうと思った。

大きな壁が立ちはだかったとき、大抵の人が壁の向こうを見ずに振り返って過去に戻ろうとする。だけど、時間は前にしか進まない。その人々はきっとこの壁の向こうを見ることがなく、停滞したまんまなのだと思えた。

私はただ、どうしても壁の向こうを見てみたかっただけなのだ。越えられないならよじのぼり、よじのぼれないなら、何年かかってもコツコツとたたいて穴をあけて通ればいい。そんなイメージだった。

起こることは受けとめて、逃げずに進みたい。

その思いだけで来た時に、気づけばこんな歳になっていた。

大したことは何もしていない。自分に起こったことを淡々とこなしてきただけ。世の中には私などとは比べ物にもならないくらい、社会のために大きな壁を乗り越えている人々がいる。地球のために尽力している人々もいる。こんなの「逆境」なんて呼ばないし、呼べない、っていうのが本音だろう。

 

でも人は小さなことでも、とてもつらく感じる生物なのだと思う。動物の潔さをみるとき、人間の弱さを目の当たりにする。

もしも目の前のことから、逃げたり、誤魔化したりしたら

目を閉じても、耳を塞いでも、本人の心の中にはきちんとそれは遺っていて、

だから人々はあんなに悲しい瞳をしているのかもしれない。

 

 

悲しい瞳はきっと

諦めた瞳なのだと思う。

 

できれば私はキラキラした瞳で

最期まで生きていたいと思う。

 

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