動物から学ぶこと 5 命の重み

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現在8匹いるうちの先に生まれた雄ハム チビタンを私の不注意で死なせてしまいました。

8匹いてもそれぞれに性格が違っていて、この子は大人しく、まとわりついてくるタイプで、娘が一番可愛がっていた子でした。母親のココが一月に亡くなったときから、なるべく子どもたちは自由にさせてあげようと娘と私は決めていて、二人で交代でみながら朝も全員順番に外に出してあげて、お昼も家にいるときは出たがっている子は出すようにしていました。

それが仇になって・・・・

知人と電話をしながら探し回っていました。さっきまでまとわりついてたチビタンの変わり果てた姿・・・・

どんなに謝ってももう帰ってきません。

夫もいつかこんなことが起きると思っていたと言ったし、娘も私も同じことを思っていました。

彼はハムスターに関わらないので、客観的に彼らをみていました。ニンゲンと住んでいる以上仕方ないとわりきれます。娘も養豚で可愛がっている豚でも、殺すために出荷されるのを何度も見送り、解体もして辛い死をたくさん見てきたから、仕方ないと言いました。(そうは言いながらチビタンを膝にのせて一人で泣いていましたが・・・・)

私は、私を見つめて信用して甘えたかったチビタンの顔が最後の姿です。信用してくれていたのに死なせてしまいました。

とても小さな体だから瞬時に死んでしまうのだとわかってはいたものの、改めてこの不自然な環境での自由の境界を夫と話し合いました。いつも夫の考えとは異なりますが、彼がなぜ森に放すべきだと言うかもよくわかっています。ペットという扱いが子どもの頃からずっと嫌いな私は、いまも彼らを見ながらケージに閉じ込めることがいやでいやでたまりません。娘の友人が9匹のハムスターをポケットに入れて公園に連れていき、放して何匹もいなくなったという気持ちは理解できました。結果的に、すぐに死んでしまったとしても、それが動物として彼らが求めた自由なら、かわいそうとは言えないと思っています。

ただ、ニンゲンと暮らして安心しきっていたのに守りきれなかったことについては全面的に責任を感じています。同時に、今まで私が殺してきた数えきれないほどの生命を思い出しました。

間接的に私たちはニンゲンでさえ殺しているという自覚は常時持っています。しかしながら、必要か必要でないかをニンゲンのエゴでジャッジし殺してきた生命もあります。

バラを鉢植えでたくさん育てていますが、いくらオーガニックで育てても、ゴキブリがわいた時には熱湯をかけて数十匹を殺したし、アブラムシは手で潰しています。ドウガネブイブイの幼虫が土いっぱいになっていたときも、まとめて処分しました。でも鈴虫に関しては処分していません。虫がどれだけついて花や葉を食べても、野生のバラならそのなかでも芽を出して、穴だらけの葉でも、半分かじられた花でも生きていて、それを含めて「バラ」なのだと思います。鈴虫もゴキブリも益虫だとか害虫だとか人間が呼ぶだけで、違いはないでしょう。

ハムスターと近いドブネズミを誰かが退治しても、かわいそうではあるけれど、酷いとは思えませんでした。彼らだってハムスターと同じように賢くて智慧のまわる動物でしょう。必死で都会の中で生きる場所をさがして生きているのでしょう。人間にとってどうしても危険な時には殺されてしまいますが、チビタンが死んだのと同じ気持ちにはなれません。

いかに自分が傲慢な都合の良いニンゲンかをまた痛切に感じることとなりました。

それとともに、今までの辛かった別れも思い出しました。

助けたくても結局逝ってしまった癌の友人。できたことは毎日病院に通って話をし、すこしばかり身体にいいものを持っていくことだけでした。

娘の親友。事故を防ぐことはできませんでした。一人で遊んでいて逝ってしまいました。

ココ。麻痺した体を動かせるように手助けはできたものの、結局力尽きて逝ってしまいました。

チビタン。私にまとわりついて自由に走りたかっただけなのに、私が殺してしまいました。これが人なら私は刑務所いきですが、動物の命に優劣をつける人間社会では私は誰にも罰せらることはなく、今日も普通に生きています。

死んだら何も帰ってきません。どんなに泣いても何もできません。

だけど、その悲しみと懺悔の中から見出せることがありました。

奇跡は生きているから起こせるということです。死んだ命が生き返ったりはしません。どうやっても逆らえない自然の摂理があります。でも生きている間は、なんでもできると思うのです。

 

大切な相手には後悔なきようにやりきることだと思いました。何度考え直しても人生での最優先は愛だとしか思えません。チビタンには愛は存分に注ぎました。それについては後悔はありません。私が命を終わらせてしまったことは論外ですが、だからといってこの先ほかの子たちを閉じ込めたままにしてストレスで早死させるかもしれないとするなら、やはりある程度の自由は与えてあげたい。もちろん、より一層の注意をはらうとして。この限られたスペースの中でまた事故は起こり、殺してしまうことがないとは言えません。でも長生きすることだけが幸福だとは思えないのです。一緒に生きているということはとても素晴らしいことだと思います。

ニンゲンに閉じ込められた動物たちが長生きしたとしても、満足するときが一日もなかったとしたら?もちろん彼らの生育地に放せるものなら放してあげたいし、ジャッジは彼らにさせてあげたいけれど、システムに巣くわれたこの世界では、国境を越えることすら自由ではありません。

過去に様々な生命を殺した自分を深く反省し、でもそれさえ受け容れながら、明日あるかどうかわからない命を大切にし、優先順位を間違わないように悔いなく生きていくと、チビタンに約束してベランダのマルベリーの木の下に埋めました。せめてチビタンは循環させてあげて、私の血肉にしたいと思います。

 

 

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