恋愛歴

個人的な話なので興味のないかたはスルーしてください。

よく男女ともに恋愛相談をうけます。なぜだかわかりませんが昔からです。

何が人と違うのかは私にはわかりませんが、恋愛について整理したくなったので、生い立ちみたいな流れになりますが、初恋から現在までをまとめてみました。

初恋

初恋は小学三年生、五年間ずっと好きでした。当時はとても大人しかったので、もちろん相手に告白などはしませんでしたが、6年生のころ、相手から皆の前で告白されて、晴れて初恋は成就しました。

よくあることで、恥ずかしがって学校では無視され続け、それに疲れてバカらしくなっていつのまにか気持ちはなくなりました。

とても自信家の男の子でした。尊敬する人は両親だと答えていて、お母さんはとても母と私を気に入ってくれてました。

小学生の頃は目の前の友達や近所の子よりもとかく、距離感のある相手を好きになるのかなと感じました。

 

セカンドラブ

中学二年生で出逢った相手で、いつも私のことを真っすぐに見つめている長身の彼でした。

当時は同級生の男子は大抵私に敬語で話しかけてきていたのですが、彼もいきなり私に

「瞳が綺麗ですね」

と言ってくるような変わった人でした。卒業するまで、クラスが違っても、廊下を歩く彼の足音を聞き分けられるくらい大好きでした。高校生のとき、付き合ってほしいと言われたのですが断りました。

お互いに好きな時期はありましたが、彼が結婚するまでことごとくタイミングが合わず結局成就することはありませんでした。

私は18歳で一回り以上も歳上の人と結婚しましたが、彼のことは好きでした。

ただし、彼は長男で韓国籍だったため、相手は絶対に韓国人でないといけないと中学のころから言っていました。だから私達は付き合わなかったのだと思います。

私が結婚したあとも何度か友人グループで会っていました。あるとき、私が住んでいた街に彼が転職してきました。私は既に二人の子どもがいて、当時は離婚など考えられなかったため、二人で会うことはありませんでした。

数年後のある日、彼が結婚するのだという予感がしました。共通の親友に電話したところ「俺も知らない」と。でも電話を切った五分後に、親友から折り返し電話があったのです。

「誰にも話してないのになぜわかったんだ?と驚いていた。韓国籍の職場の歳上の女性と結婚するらしい。お前のことは忘れないと言ってた」

彼は私や親友を急遽、披露宴に招待することとなりました。慶びの席なので泣きはしませんでしたが、帰るときにいつまでも「ありがとう」と言って私の手を離さなかったことを覚えています。

「子どもが出来たんだ」と女の子を抱いて私の夢に現れたときも、友人に確認したら、やはり女の子が生まれていました。

28で私が離婚したときに、離婚しましたという連絡をしたっきり会っていません。いまは、いい思い出にかわりました。

 

一度目の結婚

高校3年間、アルバイトをしていた会社の上司でした。付き合ってほしいと卒業前に言われ、断る理由もなかったので交際を始めました。

すぐに親に結婚したいと相手が話をしにきました。私は結婚する気はありませんでした。

就職して間もなかったし、子どもを欲しいと思ったことも結婚願望もありませんでした。まさか三回も結婚するなんて、同級生たちが聞くと驚きます。私が母親になっていることさえ、イメージに合わないようです。

ただし、相手はどうしても私と結婚したかったのだと思います。一言でいうと「断りきれなかった」ということです。

母が初体験の相手である父と結婚したため、それが正しいと10代の頃は思い込んでいました。そこに憧れもなく、幸福感もなく「断りきれなかった」だけでした。

今の自分から見ると、考えられません。

でも、息子を産んだときの幸福感は何事にもかえがたく、夫に対して愛がなかったので、病院から退院したくなくて困りました(笑)

次男を産んだときも、とても幸せでした。長男が待っているから帰らなくてはいけないのに、やはり病院から帰りたくなくて困りました。

バカでした。何も文句も言わず、本音も伝えず、相手は私のことを何も知らない10年間でした。他人として会話をしていました。だから、両耳が聴こえなくなりました。薬をいくら服用しても、発作で救急病院に運ばれてもいっこうに改善しませんでした。子どもたちには笑えなくなりました。相手を好きになろうとしても無理でした。

離婚しなければ、自分が幸せにならなければ、結局息子たちも不幸にすると思いました。だから離婚しました。耳はほどなく自然治癒しました。

一番近い他人とのニンゲン関係の構築に、私は失敗しました。

ただ、息子たちはしっかりと育てたつもりで、この絆は何処にいっても消えることはないという自信がありました。

彼らは義父母が面倒をみてくれることになりました。義父母は健在です。何を言われても育ててくれたことに感謝しなさいと息子たちにはいい続けました。長男の事故のときに、とても辛いことが彼らにはたくさんありましたが、それでも赦しなさいと言いました。

彼らの父親には、やはり彼らをこの世に送り出してくれたことに心から感謝しています。義父母には、彼らを育ててくれたことを今も感謝しています。

離婚は片方の責任なんてことは決してありません。何も伝えなかった、試みなかった私に責任は半分ありました。

息子たちとの出逢いは人生最大の幸福です。彼らの存在をなかったことには絶対に出来ないので、彼らの父親との出逢いにも感謝しているのです。

 

恋愛歴 2につづく

 

 

 

 

 

 

 

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