思考の現実化について

どこからか突如やってくるイメージと言葉。
なぜそうなるのかわからないけれど、そうなるとしか思えないこと。
 

 
それは決して願望ではなく、地球が組み込んでいた一細胞への指令みたいなもの。
それを受けて、そこを遂行することが、ある意味自分の願望となっていく。
 
もしかしたら思考の現実化は、自分に組み込まれた地球からの指令に気付いたものだけが
無意識化で願望へとそれを転じさせ、そこに向かわせる仕組みなのではないか。
 
だから一般的に考えられている「願望」が叶うというものは別物である。
直感(地球からの指令)⇒願望と錯覚⇒完了するために遂行
というスタイルは、数々の自分に起こる予見と現実化のドラマを視るたびに
そう思わずにはいられないというところからきている。
 
一番磨くべきはシックスセンス。
倣って習得するものではなく、徹底的に自分との闘い。
そこを研ぎ澄ませ、行くべき道を見つけていく。
私はそんな感覚で生きている。
 
息子が事故に遭った日、
「歩かせたい」
でもなく
「歩いてほしい」
でもなく
「歩くよね、彼」
っていう感覚だった。決まってるなら
「どうやって???」
そしてそれをできるのは自分しかいないこと、それしかわからなかった。だから
「私が歩かせてみせる」
だったのだ。
 
願望でかなえられることはもちろんたくさんある。
誰にでも可能なことなら、それは当てはまるだろう。
でもそうではない、自分の力を大きく越えたものが降りてくる場合、それは多分
決まっていることなのだ。
 
決まっていることは抗っても必ずもう一度事象が現れる。
私も抵抗し続けたことがある。
でもニンゲンの、それも顕在的な思考だけを信じて判断したところでたかがしれている。
それよりも、なぜ自分の白血球が意思なく働くのかわからないように
地球に、宇宙に委ねてみる方が賢明なのだとある時から思った。
 
一般的な人々が言う「成功哲学」には全く興味がない。
一般的な人々の言う「幸福」にも興味がない。
 
正誤も善悪も、誰かが決めた支配欲によるシステムで
そこに洗脳される気も毛頭ない。
 
生きるものは必ず死ぬ。
今ともに生きているということは煌めく経験で
命あるということは奇跡的で何よりも素晴らしい。
 
そうやって生きて来て気がついたら
最愛の人が誰一人私の前から消えることなく
私を愛してくれているという奇跡が起こった。
 
愛されることに興味がなかったから
本当の意味で愛されていることには気づかずにいた。
 
生きていることに感謝できるのは
愛し合うこと以外にないと私は思う。
 
それが人間であっても
動物であっても
海であっても
大地であっても・・・・
 
今日も一日命が終わった。
遺りの人生を地球に委ねて
静かに熱く全うしていきたいと思った。
 
 
 
前世はあなたに遺る祖先の遺伝子の発現
来世は子孫に遺るあなたの遺伝子の発現
 
 
親孝行とは貴方がとことん幸せになること
先祖供養とはあなたが負の連鎖を止めること

ちっぽけな私利私欲でひとつの命をコントロールしてはいけない
浅はかな個人の思考で自然の摂理を歪めてはいけない
世界は無限に広がっている

この視える世界に繋がっている人々との未来は果てしなく
いま 自らの命を燃えつくすべく 生きようとする真の仲間
どこに生きていても 何をしていても 誰といても問題ではない

地球は受精卵

繋がろう 共生しよう
そして 無限の世界に行こう

 

 

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