教えることと気づくことの違い

日本の教育に不安をおぼえ、他人に任せてはいけないと、教育に興味を持つ人が増えてきていると感じます。

塾にも通ったことがない私には、その必要性が未だにわかりませんが、いまや、一風変わった教育もあちこちで見聞きするようになりました。

企業までもが「人材教育」に力をいれています。

 

猫も杓子もイベントやセミナーをするこの時代、なぜだか人は集まってきます。

自分の生き方に不安を感じておられるのでしょうか?

大人がそのような状態で、果たして子どもはどうなっているのでしょうか?

ブレまくる親の意見や教師の意見にいったい子どもたちは何を感じるのでしょうか?

私も皆さんと同様に、この国の教育には一抹の不安を覚えます。

 

教える人がどのような人かによって教えられる側の生き方は大きく影響されます。

 

子は親の鏡

といいますが、特にこの世に出てから親を信じるしかない子どもたちにとっては、その家庭の常識が自分の常識になります。

 

教えるという名のもとのコントロールや洗脳は、親が自分のストレス回避という心の安定をはかるためのもので、親を大好きで言われるがままに従って社会に出た子どもは

自分で考えることができなくなる

傾向があるようにみうけられます。

 

つまり職場では「イエスマン」

集団においては「自分の意見が言えない」

人生においては「自分で決められない」

わからないから「皆と同じを選択する」

問題にぶつかった時「解決策を考えられない」

 

これらの人は教えられたのではなく洗脳されたように見えます。

誰かに従うことで、自分で考える脳が退化してしまっているようなイメージです。

教えるというのは「自分が決めた正しさ」のおし付けではなく、

背中を見せて気づかせる、

様々な世界を見せて気づかせる

失敗を経験させて気づかせる

成功を経験させて気づかせる

 

このような体験ができれば受け手は成長すると思うのです。時間はかかっても。

ひとりでに。

また、気づくということは教えられたことと違って、自発的な感情に繋がります。

 

他人は変えられない

とよく言いますが、気づくことができれば変わります。

その人本人が勝手に。

 

まず気づくことができないと変わることもできません。先に気付いた人はついつい押しつけがちになりますが、根気よく気づくまで見守ることも子育てなどでは大切ですね。

 

また自分と違う感性を持つ人からはたくさんの気付きを得ます。

知を与えてくれるのは、ニンゲンだけとは限りません。動植物からも気づきはあります。

 

教えてもらうことよりも、自分で気づいたことの方が、知恵や学びとして自分の財産になっているような気がします。

 

 

 

 

価値あることは

自分で考えること

どんな浅薄な考えだっていいじゃないですか。

 

気づきは本来の学びです。

その気づきの機会を奪う行為をしてはいけないと思いながら、きっと私たちは誰もが毎日のようにやってしまってるんですね。

とても傲慢に

相手に敬意をもたずに

 

 

なので

究極はなにもしないこと

なのだと思います。

 

でもやっぱり気づきを大切にしてほしい。

自分で考えて自分の人生をみんなに選択してほしい。

なんて思ってこんなことを書く自分は矛盾しています。

 

 

今日は教育について数名の方と議論をしたので、まとめの一つを書いてみました。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

Sponsored Link
Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です