イチブトゼンブ

人間は失敗するけど、お互いに許し合えたら、闘わなくてすむのになあ。

逆転の発想を持てば、善は悪になるし悪は善になる。

優は劣になるし、劣は優にもなる。

自分が「嫌い」な価値観の人は確かに大勢いるかもしれないけど、そういう存在も含めて、現在が出来上がってる。

闘いたい人の背景を考えるとき、その人が悪かったなんて短絡的に考えることは避けたい。

なぜなら、ずっと続いてきた命の循環の結果なので、どこに責任持っていくのかなんとも言い難い。

息子の事故のとき、私は子どもの頃から、人間自体を疑っていたので、すぐにこう思った。

「ほーら、人間が車なんて作るから。やっぱり人間の欲が元凶だ」

ってね。だから交通法規を守らなかった被告は悪いかもしれないけど、私も息子も恨む気持ちになれなかった。

悪いのは過ぎた欲を持った人間だと思ったから。便利を追求して、さらには、金という欲のために、生命さえ殺してしまう。

いや、食べるためならいいのだけど、食べ過ぎは違うと私は考えるので。

欲をもしも棄てることが出来たなら、闘いは激減すると思う。無駄な労力も要らなくなる。

また、怒りが元になってるなら、それは悲しみなので、その人の悲しみがどこから来ているのか、そこをまず自ら癒していくことで、おさまっていく。

どうしても、私は性善説を信じたいので、これだけ勉強もしてきた人類なら、現在なりの素晴らしい案が思い浮かぶと思うのよ。

厄介なのは、何事においても欲なので、もちろん原動力にするのはいいと思うけど、過ぎていないかどうかを、一人一人が時々見直すことができたなら、外を歩いていても、幸せそうな顔を見ることが増えるような気がする。

自分と異なる考えは、受容することが誰しも苦しい。そう、誰しも苦しいのだけど、生まれ育った環境も、食べてきたものも違うのだから、多少の違いはあって当然なのよね。

でも、うちハムスターたちから見れば全員人間で、広義では大差なんてない。

だから、自分を優位に思ったとしたら、その優位の基準が、誰かがなんらかの都合で考えた「優位」さの基準であって、他の生き物からみればおかしなことだという俯瞰的な目線を持ち合わせたい。

また、地球の立場にたてば、我々は単なる細胞のひとつなので、細胞同士が闘うと、それは病となり、自分を滅ぼすと思われる。

一部は全部であり
全部は一部だから

子孫を滅ぼさないように生き方を考えていきたいと思う。

綺麗事ではなくリアルで愛は核である

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