あなたの心を満たす方法

恋愛関係にある人々も、親子も、もしかしたら仕事の人間関係も

老若男女、やっぱり求めているのは

これなのかもしれませんね。

それに気づけばカウンセリングに行く人や、カウンセラーの仕事もぐっと減るかもしれないし、寄り添い続けることができるカップルが増えるかもしれません。

 

病院で息子の介護についていた時、夜中に暴れるお婆ちゃんがいました。お嫁さんなのか娘さんなのかわかりませんが、付き添いの人がおばあちゃんを怒鳴ったりなだめたり大変そうでした。

 

中学の頃、非行に走る同級生が多くて、なぜ彼らがそうなるのか、彼らの背景の共通点に着目しました。思春期に全員が反抗するわけではなく、反抗期のある家庭とない家庭の違いはなんなのか考えました。

 

恋愛関係にある二人や夫婦が、互いに不満を挙げ連ねるとき、問題は本当にその事象にあるのでしょうか?また、一緒にいるはずなのに、パートナーの行動や人間関係に一喜一憂して不安になるのはなぜなんでしょうか?

 

家族のために働いて、幸せになることが目的だったはずなのに、愛人をつくったり、浮気をして自らの手でその家庭を壊してしまうことがあります。なぜそうなってしまったんでしょうか?

 

お金をたくさん持てば幸せになると信じて、がむしゃらに金儲けに徹した経営者の心に、どうして大きな穴があいているのでしょうか?

 

私は思うのです。

 

人々が欲しているのはやはりなんじゃないかと。

 

入院して身体が思うように動かなくても、家族が自分のことを心から愛してくれて、寄り添ってくれていると感じていたら毎日暴れたでしょうか?

 

非行に走る中学生の根底にあるのは、親に自分をみてほしい、愛してほしいという欲求ではないでしょうか?

 

パートナーの些細なことが気になって、喧嘩に発展するのも、愛されていないという悲しさや寂しさからではないでしょうか?それが互いによくない循環を起こしていたりはしないでしょうか?

 

そして自分をわかってくれない、愛してくれないと感じた時に、他の異性に目が向いていくのではないでしょうか?愛されるために。

 

物質やお金に走っても満たされないのは、お金がたくさんあればあるほど、人々が見ているのは、その人そのものではなく「自分のお金」だとわかってしまうからではないでしょうか?

 

途上国に滞在して、一日に1ドルも稼がないとしても、彼らといると私がこの上なく幸福なのは、そこに愛があるからではないでしょうか?

 

愛しあうという、なによりも大きな喜びから、目を背ける必要はあるのでしょうか?

 

人間以外の動物たちは、生きるためや食べるためにおかしな行動をとりません。必要以上に助けたり、必要以上に殺したり、「物質がすべて」だと思い込まなくても生きています。

 

空が誰かのモノで、水が誰かのモノで、大地が誰かのモノなんておかしな考えはもちません。

 

地球にわいて出た生物は地球の一部で、すべては循環できるようにできているはずなのです。

 

人間は死ぬことに対して恐怖を持ちすぎていて、生まれた者は必ず死ぬということをもっと自覚するべきなのかもしれません。

 

そうしたら、こうしてこの瞬間に生きていることはとても素晴らしいし、たとえ「誰かが支配欲のためにつくったシステム」に洗脳されていたとしても、その中で精一杯なにかをすることはできて、地球を愛することもできると思うのです。

 

もしも、生命を愛し抜いたならきっと、自分の最期の瞬間に「後悔」なんて遺らないと思うんですね。

 

愛を出し惜しみして、モノが足りていることに気付かず、もっともっとと別のものに満足を求めても、私は結果的に心の穴は埋まらないのではと思います。

 

綺麗事ではなく、徹底的にリアルに、こんな愛の大切さを分かり合える人々と共生出来たら、そこは瞬時に天国になるのだろうと長い間ずっと思っています。

 

 

 

愛されることよりも

 

ずっとずっと大切なことは

 

愛することです。

 

この至福は体得するしかありません。

 

皆さんもとことん愛し抜いてみてください。

 

私はこれからも万物を愛していきたいと思います。

 

今日もみなさんありがとう。

 

 

 

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