人と比べる弱さ ハックルベリー・フィン

ラジオでこんな意見を聴きました。

「肌の色や階級、宗教にたいして、私は全く偏見はもたない。私が見ているのは、相手が人間であるかどうかということだけ。」

ハックルベリー・フィンの冒険

このマーク·トゥエインの物語がベースになっていましたが、様々なメッセージが込められた物語なのだとわかりました。

ミヒャエル·エンデの「モモ」にも同じことが言えるかもしれません。

娘はモモが大好きで、文庫ではないハードタイプのものを購入し、自分の子どもにも必ず読ませたいと言っています。

 

そして今日、ラジオで話されていたことは、人と比べる弱さと親子について。

 

●支配する親を子どもは決して愛さない。

●血の繋がりがいかに危ういものか。

●家族というのは、互いに愛があるから家族である。

●血の繋がりがあるからといって、家族にはなれない。

●親は子どもを所有物として見てしまうことが多い。

 

 

これはフロムの「愛するということ」にも書かれています。あれは、愛を言語化した素晴らしい書であると思います。

 

 

血の繋がりがいかに危ういか、そのために、親を愛さなければならないと強迫観念にかられ、眉間に皺を寄せる大人を、私は目の当たりにしてきたように思います。

 

人間にとって基盤となるものが何なのかは、個々によって違います。

 

それを私はどれが正しいとか、間違いとは言えないけれど、親子の問題は自分が老年期になっても影響されている人は多いように感じています。

 

そして、もうひとつ、比べる弱さについて。

 

誰かと比べることに基準を置いている場合、つねに他人の動向や形が気になり、それによって選択していく人生となります。

 

自分がどうかということに基準を置いている場合は、他人が何をしていても気にはなりません。

 

確かに、他人と比べて常に優劣をジャッジしている人は、確かに強い人とは言えないかもしれません。

 

ただどちらが、どうとは言えないし、強いからよくて、弱いからダメということではなく、全体でバランスは常に保たれていると考えると、どちらも必要なのでしょう。

 

極論を云えば、本人が幸せな選択をしていれば、それでいいのではないかというのが、私の考えです。

 

こうしなければならないと決められる人など、何処にもいないと思うのです。

 

冒頭の肌の色の話ではないですが、個人的な好き嫌いで云わせてもらうならば、優劣や枠組みを自分勝手に決めるような人間にだけはならないようにしたいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sponsored Link
Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です