富とは裸になっても持てるもの

もしも認めてしまったなら、引き返せない世界が目の前に浮上するかもしれない。

この世に善悪など存在しない。

あるのは本人が幸福なのか不幸なのか、これだけだ。

ある脳科学者は言う。

お金を得たら幸せ。〇〇を手に入れれば幸せ。この幻想に惑わされ、それを追い求めて手に入れてもある程度の生活必需品を手に入れて、それをこえた先はさほど変わらないどころか、かえって不幸になるそうだ。夢は追うから楽しい。だから壮大な夢を描こうとも。

子供の頃から周りの人をきちんと観察していれば、いちいちそれを確かめなくてもわかるだろう。

一度手に入れると、失うのが怖くなると見える。今度は失わないように死ぬまでそれに執着する人生が待っている。それを利用したビジネスと銘打つ詐欺が渦巻き、さらにその恐怖に苛まれる集団が巨大化する。

地位や名誉、不倫や結婚などで相手を「手に入れた」人が陥るアレもよく似ている。

いつでも何処でも、何も持たなくても自己を確立できる精神と身体と知恵が何よりの富だ。

最悪の場合、自ら死を選択することも、幸福の一つであるかもしれない。

潜在的な自己を顕にして、何かを失うかもしれないとき、人は自分を騙す論理を組み立てて、不幸なことに自らに嘘をつく。何かに幸福を依存すると、こうなってしまう。

もしも誰かが悲しんだとしても、自分が徹底的な幸福を追求するとき、その悲しみは本当の意味で癒やされるのかもしれない。

潜在的な願望の認知は、例えるなら、もとからそこにあった島を、今まで目を塞いで見ないようにしていて、目を開けた瞬間、突如海底から浮上したかのような、そんな錯覚と新鮮さを感じさせるものだ。

見えてしまった以上、もう見なかったことにはできない。

生きるか死ぬかわからなくても、その島に脚を踏み入れるしか道はないのだろう。

目を塞いでいた両手を離したなら、いまや自由になんでも掴むことができる。

もしも世界に幸福をもたらす妖精と出逢ったなら、迷わず手を取り合って共に楽園を創ろう。

太陽の光をあびたフルーツの恩恵を受けよう。

囀る鳥と出会ったなら恵みを分かち合おう。

愛する人と出逢ったなら、心の底から愛し合おう。

 

 

今日もみなさんありがとう

 

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