生きる意味とは何か

「生きる意味とは何か」について数々の言葉を遺した人がいます。

教育にも活かせる考え方だと言われています。

生きがいがないという人も多く見受けられる昨今ですが、この三つの価値を感じることが出来れば、人は生きがいを感じるといわれています。

 

三つの価値

 

  • 創造価値→芸術作品や仕事などを創造して世の中に与えることができる価値
  • 体験価値→何かを体験、経験して世の中から得ることができる価値
  • 態度価値→どんな状況においてもその運命を受容する態度によって得られる価値

特にフランクルは三つ目の「態度価値」に重きを置いていたようです。強制収容所に送られたこともあるフランクルの考え方は素晴らしいものがあります。少しご紹介します。

 

人生の意味が、本が出る出ないにかかっているとでもいうのか?そんな条件づけられた意味など真の意味ではない。本を出版するよりも、自ら書いた本の内容通りに生きること、すなわち避けられない苦しみや死であれば、それを心静かに受け入れること、この方がよほど重要で意味がある。なぜなら、模範的な生き方をしたという実績は、過去という、決して侵害されることのない避難場所に保管され、永久に失われることがないからだ。

 

虚栄と誇りは違う。虚栄を満たすには他者を必要とするが、誇りは他者を必要としない。誇りとは、他者ではなく自らを征服した者の、内的な真の自信なのである。

 

愛こそが、人間存在を高いレベルに持ち上げる最後にして最高の真理だ。

 

人生という演劇においては、だれもが独自の役柄を演じなければならない。物語の信仰にとって必要な、自分にしかできない役柄を与えられているのだ。それが「独自性」としての生きる意味であり、その意味を通して人間は、自らを越えていくのである。

 

人間に残された最後の自由は、どんな状況にあっても、その中で自分の態度を決めることだ。

 

特にこの最後の言葉は、まさに私の考えと同じです。

これは「態度価値」というものにあたりますが、これのある人は「生きがい」を失わずに最後までそれに価値を感じると書かれています。

 

☆ヴィクトール・エミール・フランクルとはオーストリアの精神科医、心理学者、ロゴセラピーの創始者。

(以下Wikipediaより抜粋)

1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所に収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放された。その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。1947年に再婚している。

強制収容所での体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれている。

 

 

親と名の付く方、教育者の方々に。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

Sponsored Link
Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です