誰かにわかってほしいと想うとき

人の真意は見えない場合もあるでしょう。

 

ゴシップ沙汰に見られるように、他者は、きっとこうだと決めつけ思い込むことがあります。

 

誰かを都合よく偶像化するのは、人間の習性みたいなものなのだと思います。

 

そんな流れに逆行するかのように

人々は自分をわかってほしいという欲求を強く持っているようです。

 

寂しさは子どもからお年寄りまでもつものなのかもしれません。でも寂しさのために「数」を求めたところで、その心は満たされることはないはずです。

 

他人の顔色に影響されず、たんたんと人生を全うする。

 

来るもの拒まず去るもの追わず

 

誰かにわかってもらいたい、というのはエゴで、そもそも、その人のことはその人にしかわかりません。

すべてを理解してもらう必要はないと思いますが、理解したい、理解して欲しいというその欲求は、恋愛感情などを昂らせるのにもっとも効果的ですね。

私は、相手を完全に理解することは必要ないと思うタイプで、同様に自分をわかってほしいという欲求をパートナーに強く持ちません。

かつてはありましたが、そんな感情。遠い昔(笑)です。

 

ただ、それでも私を理解したいと言ってくれる人が現れると、それは奇跡のようなもの。

どうして、私を理解したいのか?さっぱりわかりません。

そして、ある程度云わなくてもわかってくれていると、驚きます、ほんと。

凄いなあ、そんなに私に命の時間を使ってくれたんだって。

感謝するほかありませんよね。

誤解されたり、決めつけられたりすることはあるかもしれません。

でも、わかってくれないと憂うよりも、信じてくれる独りを大切にした方が幸福だと私は思うのです。

 

きっとあなたを理解するために、たくさんの命の時間を使ってくれた人は、あなたを愛してくれている人です。

そういう人にありがとうを伝えてみませんか?

 

 

今日も皆さんありがとう

 

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