欲しがる人

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子どものため、誰かのため、こうしたい、ああしたい。

たとえば愛という一字の言葉にも、実に様々な概念が潜んでいます。

しかし、そんな愛の中でも、生き物が求めてやまないのは

相手の幸せを徹底的に考えてくれる、無償の愛でしょう。

 

またこれは、自分がそれを持たない人ほど欲しがる傾向にあります。

 

愛が欲しい。

男が欲しい。

女が欲しい。

金が欲しい。

権力が欲しい。

幸せが欲しい。

人のものが欲しい。

 

この欲しがる気持ちを持つ人は、それを持ってないということです。持ってないからこそ欲しがるという、自然の摂理です。

 

形だけ手に入れることは簡単ですが、それでは多分心が満たされることはないでしょう。

 

逆に、欲しがらない人は、生きることに必要なすべてを持っています。

 

鳥を見てください。

植物を見てください。

 

地球にわいてきた生き物は、生きていくことができるから湧いてくるのです。

 

自然淘汰に任せておけば、生きるものは生き、死ぬものは死にます。

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

生き物は循環し、生まれて死んで、また生まれて死んで、これだけなのではないでしょうか。

 

子孫もまた循環の一つの形だと想います。

 

自分で大きな声で母親だと叫ばなくても、愛が伝わっていれば、子どもは母親を母親だと思って帰ってくるのでしょう。

 

自分で大きな声で権威を叫ばなくても、人々が認めていれば、ひとりでに何かを任されてくるのでしょう。

人に勝とうとしなくても、自然にリーダーになる人が本物でしょう。

何もかも自然に任せておけば、きちんと正しく整えられていくのに、それを受容する勇気がなくて、抵抗するからきっと苦しいのでしょう。

 

愛はどんなことも受容します。

 

嫌われることも。

裏切られることも。

妬まれることも。

排除されることも。

 

たくさんの生命を殺して自分を生かしているのに、誰かを恨んだり、支配したり、妬んだりするなど、とても残念な命の使い方だなと感じます。

 

また、いくら好きでなくても、地球が生かしている命を、ちっぼけな自分がジャッジするなどしたら、自意識過剰すぎやしませんか?

 

誰も偉くないし、誰も劣ってもない。

 

「知らない」人がいるというだけのことです。知らない人は、知る必要がないから知らないだけなのです。

 

だから、それさえも自分がジャッジすることをやめなくてはなりません。

 

謙虚さとか、愛とか、感謝とか、簡単に言葉にする人々がいますが、それは、自分が塵や埃と大して変わらないと真に自覚した人でなければ持てないものだと私は思います。

 

そして、それらは誰かに教えてもらうものではなくて、自分で気づいて体得していくものです。

 

ある意味、教えるすべての教育は無意味なのかもしれません。

 

自然に逆らわずに、謙虚に命を全うしたいものです。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

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