なぜ人は正解を求めたがるのか?

親子であっても、恋愛であっても、人間関係の摩擦というものは、価値観が異なることを互いに認識できていないところからきています。

何が正解なんて本当は、個々によって違うと思いませんか?

アマゾンの中で生きているヤノマミならば違いはさほどないかもしれませんが。

頭に浮かぶ、自分と上手くいっていない人との関係をこんな風に振り返ってみてはいかがでしょう?

 

本来は食糧にありつき、命を明日につなげ、子孫を遺して死ねたら動物としては正解であるかもしれません。

でも、人間が複雑にした結果、そしてこのような時代に生まれた結果、余計な副産物みたいなものが産まれ、限りなき欲望のもとに、幸福も正解も多種多様になりました。


例えば自分の生き方と真逆の教育を受けてきた人などは、常識といわれるものが異なります。

 

我が家は、父が電車のホームのベンチで一人でうなだれている人がいたら、即座に私たちを連れて降りるようなことをしてきたので、私も倒れている人を無視して通り過ぎることはできなくなりました。

 

それを、そんなことをしても何の得にもならない、バカだという人もいます。

 

でも考えてみてください。

果たして本当にそこに正解はあるのでしょうか?

あるのはあなたの好き嫌いだけじゃないですか?

 

価値観がどうであろうと、その人と共生したい人が傍らにくっついているものです。

 

親子でも、母親の卵と父親の精子がくっついてできたわけですから、当然母親と同じではないし、父親と同じでもない。

 

受精卵から胎児になっていく過程で、母親がからだにとりこんだもの、毎日脳から出た神経伝達物質や内分泌ホルモン、気温の変化など、兄弟でも同じになることはないでしょう。

 

だから違って当然。顔のようにもちろん中身も。

 

世界観は人によって違い、近い人間と生きる心地よさは言うまでもありません。

でも、同じように自分とは異なる価値観の人々もたくさん存在しています。

 

マサイは一夫多妻、モソ族は一妻多夫です。

 

いかに違いを認め合えるか、自分だけの正解を押し付けないか、少し頭を使えば、異なる価値観があって当然だと誰しもきづくと思うんですよね。

 

殆どの人間関係における摩擦の原因はここにあります。

互いに傲慢に自分の「正解」を押し付けあうなら平行線をたどるでしょう。

 

でも、まさか

僕が正しい!

私が正しい!

って言えるような人間は独りも存在しないと私は思ってるんですよね。

 

地球の上に生きている生物の一種と考えてると、そう思わずにはいられないので。

 

だから

「お前はおかしい!!」

って言ってくる人がいると

仰天するんです。

 

素晴らしい人生を生きられてるんだなって。

 

私はそんな、間違いも失敗もないような人生を生きていないので、誰かに「あなたはおかしい」なんて言えません。

 

いえるのは

「好き」と「嫌い」だけです。

これはハッキリあります。

 

一度自分を顧みて、自分の価値観はどこからきているのか整理してみるといいかもしれませんね。

そして目の前の人と、認め合えたらいいですね。

 

 

 

 今日も皆さんありがとう
 
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