母親神話について

SNS は子どもにでも使える日本。

バイトのライターが書いた「⚫⚫に必要な10の特徴」などの記事に一喜一憂する人々。

そして何より大人たちの「間違ってはいけない」のオンパレードと「重箱の隅をつつく」ような批判をする心の狭さ。

間違うのが怖くて発信すらできず、毎日「傍観者」に徹する若者たち。

私達のその完璧主義は、その背中を見る次世代、子どもたちにまた「間違ってはいけない」ということを刷り込んでしまうように思います。

誰だって失敗しなきゃ、生きてこれなかったはずなのです。

赤ん坊は何度も転んで走ることがうまくなっていきますし、勉強だって間違いながら覚えていきます。

大人だって初めての経験ではうまくいくかどうかなんてやってみなくちゃわかりません。

でも、そのチャレンジして失敗した人を、まるで自分が完全な人間かのような態度で、嘲笑い、責めるようなことはしたくはないですね。

そのような大人を見ると、子どもたちは完璧でなくてはいけないと思うがあまり、チャレンジすることから遠ざかってしまうのではないでしょうか。

 

私はいまだかつて、完璧に何もかも出来る人と会ったことがありません。

 

同じ母親として母親たちの話を聞いていると、誰もががんじがらめになっている「母親神話」のようなものがあることに気が付きます。

母親神話でがんじがらめなのは母親だけではなく、子どもも同様です。

昨日まで育児の経験もない女性が、母親になったとたん完璧を目指します。

 

日本の母親神話によって「母親とはこうあるべし」を押し付けられ、自分自身もそのギャップを隠すために「みんなと同じ」を取り繕い「私も出来ている」をアピールしているように見えます。

向上心を持つことは勿論いいのですが、それでもできないことはあります。得手不得手は誰にでもありますから。

完璧な方が不自然だということに、取り繕っている人々は気が付かないのです。

だからそれを見てきた子どもたちも

皆と同じでなくては

間違ってはいけないんだ

と思いこんでいくのでしょうね。

 

大学生になっても

「うちのお母さんはこれができない、あれができない」

と私に言う子が何人もいました。

いや、当たり前でしょって。

私が得意なことと、あなたのお母さんが得意なこと、同じわけがないでしょうって。

そして大人になって、母親ができていないことをわかっていながら、それを助けてあげない君らはなに?って。

もちろんそんな子にしたのは紛れもなくその母親なのですけれど。

風潮って怖いなあといつも思いました。

 

お金を払わないとお手伝いが出来ない子どもは、お金をもらわないと動かない人になりますよね。

経済観念はそんなものでつくものではないと思うのです。

一つ屋根の下に暮らす家族と助け合えないものは他人とも助け合えないでしょう。

親が教えるべきことは、家族みんなで乗り越える力であったり、人と助け合うことなのではないかと思うのです。

 

家族間でも自分にできることをするのは当たり前のことだと思います。

もしも生活が苦しいなら、例え子どもたちが結婚していても、家族みんなが寄せ集まって暮らせば解決することもあります。

優先するのは虚栄ではなく、いつも幸福であってほしいと願います。

失敗することも他者と異なることも当たり前なのに、必死で隠している人がいます。

親である自分が幸福でないと子供にはそれが伝わってしまう気がします。

自分を助けられてはじめて他者を助けられると思うので、自分を楽にしてあげることも必要ですね。

多分子どもたちは親を無条件に受け容れてくれます。子どもの方が得意なことがあるなら、子どもに助けてもらえばいいと思うのです。

助け合おうとしているのはいつの時代も子どものほうではないでしょうか。

彼らがそんな優しい気持ちを忘れない大人になることを私達は願っているはずです。

未来に生きる子どもたちの瞳がいつもキラキラしているためには、素直に正直に自分らしい親でいることが大切なのかもしれません。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

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