弱みを見せないということは、自分を守るための本能なのかもしれません。
動物が自分の体調がよくなくてもなるたけ普段通りにふるまうのは、相手に弱みを見せて狙われないための本能だと言われたりしますよね。
人間の場合は不自然な生活をしているので、本能が必要な場合もありますが、よくよく考えれば正直に伝える方がリスクにはならない場合とに二分されます。
強がりが高じて『天邪鬼』になる人は、相手からすれば本心を読んであげなくてはいけない面倒な人間です。相手の命の時間を無駄にする傲慢ささえ感じます。
もちろん、何でもかんでも泣かれても困ります。しかしながら
「セルフコントロールくらいできるようになってほしい」
と思いつつも、日頃精一杯頑張っている人が、心折れたり、傷みに耐えかねて泣きたくなったりすることはあると思うのです。
怠惰な大人が甘えて泣くのは似て非なるもの。
また、強がる最大の理由は『相手を信用していない』ということも含まれていそうです。
基本、私たちは自己完結しなければいけない『動物』の一種です。
弱みをみせれば、自分の立場が不利になる、だから強がって独りで生きていく、という人もいるでしょう。
逆に容易に他者に依存する人は、自分のことしか見えておらず、相手の命の時間を軽く見ているように見えます。そういう点では『強がり』による孤立は、生涯貫き通せるなら『自立している』ともいえるでしょう。
ですが生物には感情があり『愛されたい』と願うのだとするなら、本当は他者と寄り添い合いたいはずです。孤独で幸せだと感じる人は、あまりいないのかもしれません。
動物でもニンゲンでも、もしも自分のすべてを受容してくれる相手が存在するなら、きっとその人の前では泣けるのです。怒れるのです。ただし赤ん坊のように一方的に甘えるのはあまりにも傲慢で、いつか相手は去るでしょう。仮面夫婦もしかり、ですね。
もし共生する動物(ペットと呼ばれている彼ら)が逃げたとしたなら?
家族が本当のことを話してくれないとしたなら?
原因は自分にあります。自分の在り方を顧みた方がいいかもしれません。
心から信用できる存在があれば、人はそこを還る場所にできるでしょう。
わざわざ強がって本音とは異なる言葉を誰かと交わすことなく、ストレートに伝えあい、助け合い、愛し合うことができるでしょう。
相手が人間であれ、動物であれ、植物であれ、相互扶助の関係になるにはまずは同じ生物として対象を信じることが大切だと思います。
生きるために他生物を殺さなくてはいけないし、運悪く、若くして死んでしまうこともあります。
そういうものなのですよね。生物って。
地球のものを自分のものだと主張したり、自分だけ楽をしようとしたり、誰かを低く見たり・・・・それらは愛がない行為です。
わざわざ強がって嘘をつかなくても、信じあえる存在をみつけることが、心の安定をはかる平和的解決の第一歩なのではないかと思うのです。
信じることは愛すること
まず愛することができる人でなければ、命を尊重しあうことができません。素直に伝えることもできません。
信じあえる存在と共に生きましょう。
今日も皆さんありがとう。
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