その不幸の源

たった一人で山の中で暮らしていて、誰とも会うことがない人ならいいのだけれど、仕事であろうと家族であろうと他人とのシェアハウスであろうと、共生する人を不幸にする人は、間違いなくその本人がさらに不幸になっていく。なぜあんなに不幸そうなのかと人を見てきたけれど、それらは選択に問題があったように思う。

ハムスターが教えられなくてもみな初めて見たヒマワリの殻をむいて食べるように、ニンゲンも、サピエンスだろうとエレクトスだろうと多分大差がない。個々がひたる優越感の源は僅かな差異に違いない。

共生者の中で、日本では頻繁に責任転嫁が横行する。自分の不出来を誤魔化すための手っ取り早い方法で、無理矢理責任転嫁をして自分が逃げて助かるように勘違いしている。そういう人は60歳であってもまだ責任回避していて、鬼のような形相で、地獄のただなかに住んでいることが一目見てわかるのだ。

昨今は「正社員」が「えらい」と思い込んでいるような民が溢れかえるほどいて、非正規に嫌な仕事をおしつけ、自分の奴隷としてのバランスを保っているようだが、それを見る周囲の人に誰よりも嫌われさらに孤独になり、奴隷が奴隷に偉そうにしてみたところで滑稽な生き物にしか見えないことにも気づけない。

支配はいつもその構図で、不必要なほどの土地や銀行の通帳の印字の桁に執着し、たくさん持っていると胸をはったところで、生き様がそれだから、視れば心に大きな穴があいている。穴埋めするために大抵は脳の電気信号を手っ取り早く快楽に導くようなSEXに走る。刹那的なので繰り返さなくてはならない。ギャンブルも薬も同様だろう。

多くの生き物を殺戮し、血肉とし、せっかく自分の命の時間にかえて没頭してきたものが、自分の不幸を作るなど、なんとも残念な話。

多分、群れになり共生をとるなら、せめて目の前の人の幸せ(日本人の思うような怠惰な暮らしではなく生きるために必要なやるべきことはやる厳しさの中での命の充実)に貢献しないと、自分も幸福になれないようにできているのかもしれない。

時に、本当に何も知らない、分からないで利己的に生きる人は幸せで、その証拠にそういう人はいつも笑っていて、みるからに幸せそうだ。それは仕方がなく、白痴だと理解し、その幸福をできるだけ周囲が潰さないことも愛の一つではないかと思う。

もし、今自分が不幸だと感じている人がいるなら、過去の自分を今一度振り返り、何かを選択する際に過去と逆を選んでみるのも一つの方法ではないかと思う。

自分を貫きながら、目の前の人に対してやるべきことをやることは可能である。そこはパラレルワールドなので日本人が得意な、「しごと」という箱の中では綺麗事を話し笑えるようなあのエネルギーを自分と共生者のために使えばよいだけのことである。

せっかくのエネルギーを好きでもない誰かとそのご家族を怠惰に裕福にするために使うから不幸なのである。それなら徹底的に自分と大切な人のために命を使ってみればいい。

今日死んだって幸せだから。

プライドという名のちっぽけな恐怖などさっさと捨て去ればいい。動物は自分のためにしか生きない。

「人のため」と叫ぶ人は、叫ばなくてはならない理由がある。「私は母親ですから!」と叫ぶ人は、子がわかり切っているのに他人に叫ばなければならない理由がある。そんなこと叫ばなくても目の前の人は知っているはずなのに、変な話なのだ。

生きることは殺すこと。

先祖代々数え切れない命を殺して今自分がここに在る。「ありがとう」と叫んでも意味がない。感謝のセミナーなど不必要。自分の生き方に心底納得していればその命は無駄にならないと私は思う。

今日も皆さんありがとう。

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