決まっていること

未来の予感という、直感的なイメージがあったとしても、その【点】に到達するまでの道程は私には見えないのです。

その【点】が、事象の場合、登場人物が誰かもわからないのです。

たとえば

2013年の春、誰かが我が家に越してくるという【点】は見えていても、誰かがわかりませんでした。それが今の夫ですが。当時は彼は別の人と交際していたし、私も別の人を好きでした。

 

2010年【本を出す】と、息子の病室で話していましたが、いつかはわかりませんでした。それが2016年でした。

 

今もまだいくつかの【点】が見えていますが、それがいつかはわかっていません。

 

だからこの道程で、誰かわからない場合、その事象を起こすのは必ずしもいま、目の前にいる人ではないかもしれないと思うし、いつかはわからない場合、今か今かと待つことになったりして、案外疲れるものです(笑)

 

事象に到達するときにいつも感じるのですが、なぜかそこまでの道の途上で「間違い」が起こりそうになっても、決して起こらないものなのです。それは、何かに止められるような感覚です。

 

あと一歩間違えば、という危うい場面に私も夫も何度出くわしたことか……

 

願望がそこにあっても、それは結果的に事を成しません。

 

決まっていることと、願望というものは少し違うような気がします。

 

自分としてはどっちでもよかったことがあるとします。一の道でも、ニの道でも。でも、道は一つしか歩けないんですよね。

 

まわり道したように見えても、多分それが一番正しい道なのだと最近は思うようになりました。

 

間違った道にそれそうになると、自分の感情さえ、何かに衝き動かされて戻されているように感じます。

 

自分で考えているようで、もっと違う何かに動かされているような……

 

そうして、落ち着いてすべてを受容してみると、目の前に在る事象は、かつて直感でなんとなく見えていた世界だったりするんですよね。

 

つまり、起こることは必然だということ。

 

それはすんなりと滞りなく物事が進むというわけではなく、時には問題が浮上したり、抵抗が強くなったり、逆に一気に進んだりすることさえ、すべて、決まっていることなのかもしれません。

 

強い強い願望がありながら、目の前のものを掴まないときがあります。

 

何度考えても、なぜ掴まなかったのか自分でも理解できないことがあります。きっと、そういうのって、自分の道に不要なものなんだろうと考えます。

 

また、最終的な【点】が見えていると、そうそう道を外したりはできないものです。

 

私も、あといくつかのこる【点】を楽しみにして、刹那を愛してやまない人生を送りたいと思います。

 

 

今日も、皆さんありがとう。

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