自然治癒力シリーズを4まで投稿していますが、今回は心について。
誰しも辛く悲しい心を回復させることは容易ではありません。
私は多分、自他ともに認める逆境に強いタイプだと思われますが、それでも半年間、毎日泣きながら布団に寝たままで、家事も何もかも夫と小学生の娘がやってくれていた時期があったんです。世間でいうところの鬱です。
けれども鬱さえ、結局治してしまいました。
折れない心と言いますが、同時にそれは、ブレない強さともいえると思います。
ではなぜブレないのか、それがあれば確かに逆境が来ても自分が何をすべきか判断しやすいと思います。
下記、ご参考までに。
子どもの頃に決めたことがある
まず、自分の生きる目的や目標を小学生の頃に決めました。
これを本気で決めていたことです。
プロフィールの欄にも書かせていただいていますが、私にとって
真実の追求と無人島で一人で生き抜くような強さ
というのは、逆境の時に必ず助けになりました。
また、何かを選択しなくてはいけないとき、その選択が核は愛であるかどうかが非常に重要な指標となります。
多くの人は損得で動きます。生きるためには仕方のないことです。ですからこんなことを指標にすると、人生大損ばかりするかもしれません(笑)
でもおかげさまで、心に曇りがなく、人生を通して自分の選択に満足できています。
知能が発達したと言われるのがホモ・サピエンスならば、目先の利己的な損得ではなく、知能を使って助け合い長期的な種にとってのメリットを享受することがニンゲンらしい生き方だと考えてきました。
虐められていた時期があったのですが、彼らがそれをして何が楽しいのか理解できませんでした。病弱で休みがちだったからかもしれません。
誰とも話さないし遊ばないし、そもそも体育も禁止されていたので、休み時間も居ずに座っているだけでした。でも、イジメなんてして喜んでいる人たちに負けるのは面白くないと思ったわけです。
だから、無人島で一人生き抜くような強さを持とうと思ったわけなんですね。目指したのは完全な自立です。
先生は、私が虐められても知らん顔でした。何度担任がかわっても。
両親は正直ですが、私が悩みを一切話さなかったので、何も知らないままでした。
いつも誰にも相談せずに解決しました。これが良かったのです。問題を解決するために、いつも独りで考え続けましたから。
生きる目的も考えました。
生涯飽きずにできること、死ぬまで答えがみつからなさそうなことというイメージでした。するとこれしかありませんでした。
真実の追求
これらを小学生の頃に本気で決めたので、ここまで笑って生きてこられたのだと思います。
離婚しましたが、別居した息子たちとの信頼関係は他のご家庭よりかなり強力です。三人の子どもには、自分で考え選択できることや、生きる力を養う事を基軸に育てました。おかげで、精神的に自立し、他人に左右されないような人間に育ったと思っています。
生きる力という点では、三人とも環境適応力が高く、精神的な強さも兼ね備えているので、私がいつ死んでも困りません。
子孫が自分で選択判断でき、夢に向かって生きる力があるということは、彼らが後悔なく生きていくことができるとわかっているので、私には不安がありません。
また、価値を置く基準が自分の考えであるため、世界観は自己完結が出来、世間の動向に左右されません。
客観的に視る
鬱の時も、原因を自分の中に探しました。半年、布団に横になったままで殆ど動けず、ひどく絶望を感じていて生きる気力がありませんでした。
その絶望の源を、泣きながら探していました。
そしてある日、真逆の部分に視点が転換したのです。
他者が自分にかけてくれた命の時間、我慢してくれたこと、誰かを傷つけてしまったかもしれない出来事など。
鬱からの脱却は
自分が選択した結果が現在なのだという自覚と
自分の未熟さの反省からくる、周囲への感謝でした。
その後、イヤな出来事も価値あるものに転換できるようになりました。
時に、責任転嫁してくる人、陰口をたたく人、妬む人、利用しようとする人などと出会うことがあります。
でも、彼らがなぜそうしたがるのか、潜在的な彼らの思いは何なのかなどと考えると、そこには気づきと学びがたくさんあることがわかります。
ここでも真実の追求というテーマが大いに活躍してくれるわけです。
いかに人間が『思い込み』によって生きていて自分のことすらわからなくなっているのか、そしてコミュニケーションがとれなくなって問題を起こしてしまうのかなどがわかるようになりました。
幼少期から周囲を見て聴いて考え続けた結果、私の頭の中で膨大なデータが蓄積されて、いつのまにか俯瞰的に物事をとらえることが出来るようになりました。すると、大抵のことは小さく感じられるのです。
他にもいくつか挙げてみます。
楽天的
小さなことにおいては変化は進化だと思っていますし、環境には臨機応変に適応できるように努めています。
小学生の頃心臓が悪く、医師に
「17,8歳くらいになった時、寝ている間に死ぬ可能性がある」
と言われました。
それなら今日死んでもいいように生きようと思ったのです。
日々やらなくてはならないこともありますが、長期的に我慢が続くとこれに反していることになりますから、本意でないことは修正するように努めます。
そして過去に拘るのはなるたけやめます。
つまり前に進むことです。
前に進むことを阻むものにこれらがあります。
執着・依存・嫉妬・見栄・虚栄心・承認・世間体・常識・嘘など。
これらはなにひとつ、自分にとってプラスにならないので、このような考えを持たないようにしています。
指標を 愛・地球・自然の摂理・原理原則・共生・種の保存・循環などにすれば、大抵の悩みはちっぽけでどうでもよいことになるのです。
徹底的にリアルを視る
これらは難しいことではなく、私にとっては徹底的に現実を視ることなのです。
そもそも生きている意味は、食べて明日に命を繋ぎ、交尾して子孫を遺して死んでいく—本来はこのくらいでしょう。
交尾しない場合は種の保存に貢献するという手もあります。
なんでも意味付けしたいのがニンゲンという生き物なのです。
勉強も適度にしておかないと、それにかけた時間が惜しくて知識に傾倒しがちになります。
過去の研究や、実験として殺された膨大な数の動物には感謝と懺悔しかありませんが、知的好奇心すらやり方を間違えると過ぎた欲でしかないというのが現在の私の考えです。出来る限り、他の生命をおびやかさないような学びをしたいと思います。
わからないことはわからなくていい
所詮地球の一部でしかないニンゲンがすべてを理解できることはありません。
わからないことはわからなくていいという潔さも持っていたいと考えています。
昨今教育分野で叫ばれるような生きる力においてですが、教育現場よりも前に、まず親が与える食べ物や生活習慣の改善などから細胞や感覚器を正常にすることが大切だと考えます。
できるだけニンゲンの創ったお話に洗脳されず、ゼロベースで考えてみれば、案外個人の問題など簡単にクリアできるのかもしれません。
今日もみなさんありがとう。