自覚と至福

子どもの頃、大人は何でも知っていて、わかっていて、だから僕らに指示をするのだ

そう漠然と思っていませんでしたか?

だけど大人になった皆さんはご存知でしょう。

たくさんのモノを揃えて、他者と生きていくにはなにもかも必要なんだと……

わが子を守るために自分だけ落ちこぼれてはいけない……

バカにされないために自分だけ落ちこぼれてはいけない……

そんな恐怖や不安の中で、必死に強く見せて、すました顔をしていることを。

 

人は誰かに依存し、孤独が怖くて見えない枷に繋がれています。自分の存在を確認するために、社会や他人、家族を必要とします。

 

家族がいなくなっても

国がなくなっても

仕事がなくなっても

 

自分が単なる生物として、個として生きていく覚悟ができたとき、必要なものが見えてくるのではないでしょうか。

何かに依存しなければ「幸福」がないと思い込んでいる状態から抜け出すことが出来るのではないでしょうか。

そして自分が何に依存・執着しているのかがわかるでしょう。

 

毎日当たり前でないことが起こっています。目をしっかりと開けば、感謝するような当たり前でないことがたくさんあると気づくでしょう。

 

今日、スーパーのレジで対応してくれたパートの女性にも。

 

珈琲農園で働く途上国の農夫にも。

 

カカオ農園で朝から働く児童労働者にも。

 

安価な賃金で先進国民の利益のために働く縫製工場の縫い子さんにも。

 

そして、私たちの命を生かすために、死んで行く動植物にも。

 

私たちの命ではなく、物欲を満たすために人間に殺される動植物にも。

 

私たちは誰も善人ではありません。

 

いつか核戦争で大地が焼け野原になり、シェルターから出てきたのが、ただ独り自分だけだったとしても、そのときに持てるものが、その人の本当の富だと思っています。

 

それは誰かからもらうものでもなく、死ぬまでなくならないものなのです。

 

現在、人間含めたくさんの生命に依存して生きている私たちですが、いったい自分一人がこうして命をつなぐためにどれだけの生命を殺してきたのかと考えることがあります。

 

そんな自分が、そのような現実を自覚できたとき、つまり、他者に対する依存を棄てたとき、万物に心から感謝できたのです。

 

そのような富は、どんな環境におかれても、誰も奪うことはできないし、そこにはもう、不安や恐怖など存在し得ないのです。

 

地球を主体に考えたら、私たちの存在は塵にも満たないかもしれません。

 

何も意味などないのかもしれません。

 

それでも人間なので、祖先から生きてきた果てしない時間に思いをはせて、いまに感謝したいと思います。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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