思い込みを外せばどうなるのか

親、教育者、企業の管理職、長と名のつく人、目標のある人、誰かと幸せに共生したいと考えている人や、円満な人間関係を構築したいすべての人に……

人は、なぜ円満な人間関係を築けないのか、なぜ本音を言うことが怖いのか、なぜ部下が動いてくれないのか、子供がいうことをきいてくれないのか、なかなか気づくことができない。

なぜ、夫婦でいてもイライラするのか。

なぜ、親子で啀み合うのか。

なぜ、会社にいても面白くないのか。

なぜ、悲しいのかつらいのか。

 

思い込みとは誰かが正しいとか、優れているとか、自分が善人だとか、または悪人だとか、そのような、何を基準にしているのかもわからない【区分】のようなものだ。

それによって自分や他人像が曇ってみえてしまっている状態だ。

自分が産まれてから何を「正しい」と刷り込まれたのか。知らず知らずに何を教育されたのか。何を信じているのか。

 

例えば、ジェネレーションギャップという言葉があるが、あれは自分たちの正しさのおし付け合いであり、時代背景を互いに理解し合えば、相手の価値観を認めた上で現代社会に沿った着地点を見いだせるはずなのである。

親子もしかり。

夫婦もしかり。

 

大抵の人間関係の摩擦は、この正しさのおしつけ合いにある。相手のせいにしたり、責任転嫁したり、個性を排除したり……。

まず自分がどのような視点で物事を見ていたか。どのような価値観を植え付けられたらか。それに気づけば、個々が違っていて当たり前だということに気づく。

その気づきは、自他承認と相互扶助の基盤となる。

また自分がなぜそう思い込んでいたのかという道筋を説明できれば、自分の行動パターンを自覚でき、変化させることができるようになる。

他者の意見や机上の空論のコピーアンドペーストではなく、その道筋が見えてしまえば、自分の選択だと自覚せざるを得ない。

例えば綺麗事のように、綺麗に創らなければいけない言葉をなぜ、己が発言するのか……心の底に綺麗だと思えない感情が潜んでいるからに他ならない。

それを潜在的に人々は察知し、綺麗事ばかり言う人間は他者から信頼されることはない、という構図ができあがる。

皆さんご存知のとおり。

そして自分のその思考回路が露呈すれば、人に優劣をつけられなくなるし、マイノリティ排除や、権威を振りかざす人が陳腐にみえてくる。

人を認めることは愛であり、責任感は他者に対する愛であり、自立は覚悟につながり、それをすべて納得して受容できれば、他者の顔色などうかがう必要もなくなってくる。→MAHIRO思考シリーズを参考

本来の持てる力を各々が発揮することができ、親子で違っても良いし、夫婦で違っても良いとわかる。部下も管理職がそういう人であれば、怖がらずに議論ができ企業は活性化するだろう。

親がこのように子供を全面受容するとき、子どもであっても独りで選択して、自分の人生を生きることができる。子どもの力を信用せずに、狭い価値観で、親がコントロールする必要などなくなる。

大抵の人はスキル習得に必死になるが、順序がちがっている。

自分で思考できるという基礎ができてはじめて、その上に高層ビルでも平屋でも好きに建てることができるのである。

つまり、群れる動物である人間同士の円満な関係構築(コミュニケーション能力とも呼べるかもしれないが)、ができた上でスキルを身につければ、スキル習得のみに力を注ぐよりも目標達成能力も高まるだろう。

なぜなら、認める力のある人の自覚や意思と、正しいをおしつける、またはおしつけられる人の自覚や意思とは雲泥の差であるからだ。

思い込みを外し、360度の視野を持てば、可能性は無限に広がる。

 

思い込みの外し方について

 

今日も皆さんありがとう。

 

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