自分が変われば周りが変わる

ものごとは様々な偶然が織り成す必然の出来事であって、自分がそれをひきおこしています。

というと、「そんなことない、あの人のせいよ」って思ってることがある人は、心がすっきりはしませんよね。

最終的な結果を起こす直前には、確かに誰かが関与してるものですから。

でももう少し、掘り下げて考えてみてください。するとこんな風に考えられるかもしれません・・・・

相手の責任?

うちの息子のように法規を守らないタクシーに巻き込まれて下半身不随になったとしても、私と息子は相手を恨めませんでした。

息子はやはり「あのとき急いで出なければ」とか「あの日に学園祭に出席しなければ」等と自分をかえりみるほどにかえりみたはずです。

私も彼の事故については「あのときこうしていれば」とか「京大入学を勧めなければ」などとという思いは何度かわき上がりました。

相手は確かに指示器を出さなかったかもしれない。

本人は一度も見舞いにも来ませんでした。

でも、どんなに辛くても過去に戻ることはできないのです。

だから責任転嫁したって自分たちには何の幸福にもつながらない、そう考えました。

(その辺りは拙著「奇跡は準備ができた者にだけ訪れる」に詳しく書いてあるのでそちらを参考にしていただきたい)

 

その前段階を考えたなら、ニンゲンが車を作ったことや、安易に誰にでも免許を交付する国の体制や、本当に様々なことが重なっています。

事象というのは様々な偶然が織り成す必然の出来事であって、善に見えようが悪に見えようが、自分の波長がそれを起こしているとするなら、変えるべきはやはり自分しかないのです。

 

よくないことが起きるときもあるでしょう。

悲しいことが起きるときもあるでしょう。

自分はなにもしていないと言いたくなることもあるでしょう。

法律上では自分が正しい場合もあるから。

でもやはり自分を振りかえるしかないのですね。

 

たとえば、誰かに約束を守ってもらえなかったとしましょう。

その人を信用したのはあなた自身です。

決めたのは確かにあなた本人のはずなのです。

 

ここがスタートなんですね。

ではなぜ、その人と出会ってしまったのか。

自分の何かがその波長を引き付けているからと考えてみてほしいんです。

 

だから自分を変えれば周りの人間関係も変わります

 

そして失敗は成功のためにあるのです。

 

それを二度と繰り返さないという強い意思は、自分がそれを引き起こしたのだという自覚からしか生まれないんです。

どんな事実も受容する強さを持っていたいですね。

 

気づく人と気づかない人

自己責任と思う人と、他に責任があると思う人と世の中には二種類いるのは事実です。

全員が自分で責任をとっていく方向に流れる必要はありません。

 

例えば気づくということに縁がない人は、気づかなくても生きていけるということなのです。

個人が生きていく世界、コミュニティ、同じようでいて、同じではありません。

必要のない人には必要ないと思います。

 

こうして私の言葉を何かのきっかけで読んでくださっている皆さんは、それも必然で、私が放ったエネルギーを感知した方が繋がっているのだと思っています。

 

スピリチュアルとか波動とか、本来そういう言葉は必要ありません。

誰でも生まれた時から持っている感覚なので、特別視する必要もありません。

視力に数値差があるように、感覚にも強弱があるだけです。

 

 

それらを後付けで科学的に考えるなら、量子力学や心理学や脳科学、スピリチュアルなどという分野で説明がついていくだけのことなのだと私は考えています。

 

それらも、どれか一つが正しいわけでなく、360度立体的な視野をもって判断することが必要なのでしょう。

 

一つの参考として読んでいただけたなら幸いです。

 

今日も皆さんありがとう。

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