MAHIRO思考 74

私達はいったい何を見て、誰かを好きになるのでしょう。

価値基準は様々で.、スペックで相手を判断して「好き」という言葉を使う人もいます。

でも私の場合、視ているところがあります。

 

魂を視る

 

言葉と心は必ずしも一致していません。

怒っている人は悲しみをもっていたり、優しい人は誰よりも傷ついてきた人生を送っていたり、支配欲や承認欲で「人のため」なる綺麗事を使ったり、逆に他を尊重するあまり一切人に関与しない自立した人もいますよね。

感謝という言葉を使っても生き方にその真意は表れていて、私は人の言葉などほとんどあてにしていません。外国人でも関係ありません。

潜在的な自己を徹底的に理解して放つ言葉ならまだしも、殆どの人は潜在的な自己意識を隠しているか、もしくは本人も理解していません。

だから、真摯に誰かと付き合おうと思えば、魂を視るしかないのです。

そこに善悪はなく、優劣もなく、私と大きくかけ離れていたとしても、好きな人は好きなのです。

凝り固まって融けない殻もあるけれど、大抵の人は同じ動物ですから大差はないと思います。

優劣を決める人ほど人は離れていきます。

そういう偉そうな生き物にならないために、己を潰し続けることが肝要ですね。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

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