MAHIRO思考 90

シリーズは私のノートに100まで書いてあります。

しかしながら最終10章は、書籍として出版するときにオマケとして掲載しようと思います。

ホームページに於いてはここでMAHIRO思考シリーズは終了とさせていただきます。

 

さて、本日のお題は……

 

洗脳されない

幼少期から、大人の言うことも先生の言うことも「ホントかなぁ??」と、一旦頭の片隅において、答えを探しながら生きてきたように思います。

時間がかかったものでいうと、30歳を過ぎてから「やっぱりあれは違ってた!」と思ったものがありましたし、未だ答えが出ていないこともあります。大抵は「本当にそのとおりだ」よりも「やっぱり違っていた」の方が多かったように思います。

確認もせずに他者に指示をしたり、教育などという名のもとに胸を張ってしまえば、まるでそれはピエロのようなものです。

そのような道化師になるのであれば、死ぬまで答えを見つけられない馬鹿として生きる方が幸せだと思います。

動物とはとどのつまり、食べて寝て出して交尾して子を残して死んでいく、というだけのものだと思っていて、それ以外は大抵どうでもよいことです。

意味をつけたがるのがホモ・サピエンスなのでしょうけれど、せっかくその意味づけをするなら、できるだけ面白いお話を作ってほしいと個人的には思います。

その面白くないお話の極みが、例えば消費者心理を読んで作られる広告であったり、イメージをすりこむ写真やコピーであったり、実は詐欺まがいの行為なのに営業と呼ばれていたり、奴隷を社員や国民という名称に呼びかえることであったりします。

【正しい人】などこの世には存在しません。

ですから誰にも洗脳されなくてよいし、果たして本当に地球はあるのかとさえ考えられます。

それも、どこかの誰かが作ったお話ですから(笑)

 

だけど確かに自分には意識があって、生きているのです。

愛する存在(人とは限りません)は、誰にもあって、幸福を感じたりもします。

限りなく削ぎ落として自分自身になりたいという欲求を強く持ってはいても、その自分さえ、多分腸内細菌がゼロになれば死ぬのでしょうし、体の細胞は毎日少しずつ死んで、生まれているのでしょう。

どこまでが自分でどこからが自分でないのか、それさえ人間は見つけられずにいます。

争いなどは下手なお話づくりをする人々のやることで、まったく面白くなくて、命の時間の無駄遣いだと感じてしまいます。

それでも抗えないのが、哀しいかな、自分がホモ・サピエンスとして生まれていることであり、生きていることです。ハムスターが皆、教えなくても向日葵を剥くように、ホモ・サピエンスにはホモ・サピエンスなりの習性があり、多分誰にも大差はありません。誰も偉くないし誰も劣ってもいません。洗脳されていてもされていなくても、多分大差はないでしょう。

近い将来もし命が終わるなら、二度とこの世に関与したくありませんが、万が一輪廻転生があるなら、今度はぜひとも蚊かミジンコにでも生まれかわり、一瞬で燃え尽きてまた死にたいと思います。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

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