可能性

なぜだか人は誰かに期待します。

何かやってくれるんじゃないか?

こう変わってくれるんじゃないか?

そんなポテンシャルのある人を求めているのは、ビジネスでもボランティアでも、恋愛でも同じではないでしょうか。

ポテンシャルがない人にエネルギーをかけるのはムダだと思う人もたくさんいるでしょう。

しかし、それをどうやって判断すればいいのかがわからない人がいます。

簡単なことです。

 

想像力のない人

この想像力のない人とは、別にデザインをできない人という意味ではありません。

小説を書けなかったり、創作ダンスをできない人でもありません。

自分は正しいと思っている人です。

こういう人は自意識過剰なので、この世の中で自分はある程度なんでもわかっているとか、机上の空論をコピーして覚えたことを、自分で確かめもせずに「知っている」と表現したりします。

生命体は数えきれないほど存在し、私達の身体でさえもたくさんの菌のおかげで生きることもできているだろうし、その菌がすべていなくなれば多分死ぬでしょう。植物や動物や水や空気があり、おかげで栄養をとりこめて循環させて人間とも共生しています。

それなのに人を馬鹿にしたり、自己を高く評価したりしている人は、それ以上伸びる可能性はほぼありません。

自分がバカだとわかっている人しか成長はできません。

これが、誰かをバカだと言う人がバカなんだという理論です。

地球上で最たるバカはニンゲンだと気づいてないことが恐ろしいと私は思ってしまいます。

何もかもが視点を変えれば正しかったり間違ったりしていて、人間では決定づけることはなかなか容易ではありません。大抵は地球が決めていることが正しいと私は判断しますが、その地球って……なんてことも考えたりもしてしまいます。

想像力の思考回路は個人差があるように思います。これ以上ないと決めれば神経細胞は死ぬのかもしれないし、未知の世界を見ることができたら、息子のように、神経が断たれたのになぜか歩けたりするんでしょう。

彼は知識をニンゲンの考えた仮説だと考えていたので、私とともにその先を見ることができました。

もしもニンゲンだけを信じてしまったら、地球上の一生命体のことしか信じてないということになり、自覚すべきは、それは井の中の蛙状態なのだということです。

日本を出るだけでも、ニンゲンの生き方か多種多様であることに気づくでしょう。

それでもやはり自分が全てだと思い、偉そうに振る舞える人は、伸びしろは僅かだと思います。

けれども更に深堀りするなら、なぜ自分がめいいっぱい自分のやりたいようにせずに、他者に期待するのか?何を期待するのか?という己の潜在意識を見なくてはなりません。

自分がやりたくないから誰かにやらせたいという利己的な思考なのか、支配欲からくるものなのか、自分を正当化するための自分の遺伝子(嫡出子)への期待なのか。孤独への恐怖なのか。まあ、色々あるでしょう。

どちらにしても他者に期待する前に、やりたいことがあるなら、自分がやりたいだけやるのが筋かと考えます。そして、同じ方向に動いている人と出会ったら自然発生的に共生すれば、多分お互いに期待せずともサクサクと進んでいくのでしょう。

とどのつまり、どう生きようとその生物の自由だと思うのですが、期待する側も期待される側も、責任転嫁だけは避けたほうか無難です。

勝手に期待しておいて期待どおりに動かなかったと相手のせいにしたり、期待されることでしか動けない人に、期待するのをやめると承認欲求が満たされずにふてくされてやるべきことをやらなかったり。共依存関係は責任転嫁をし始めると終わりを迎えてしまいがちです。

大切なことは、何であろうと自分の命の時間をやりたいように生きることだと思います。

地球が勝手にジャッジして、強いものは残り弱いものは淘汰されると私は思うので、心配しても悩んでも意味がありません。他者の命の使い方も、強制はできかねます。

何もかも地球におまかせして、来る者拒まず去るもの追わずのスタンスを基軸に、生きていきたいものです。

 

今日も皆さんありがとう

 

 

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