繁栄

積み上げたことは、必ず蓄積し、遺伝子の中に刻まれていく。

10年継続すれば10年分、30年継続すれば30年分。だから、机上の空論は聴くに値しないと私は考えている。

単調な仕事を数十年「安いと定義された賃金」で継続してきた人の、その積み上げた何かには価値があると考えているし、それはもしかしたら「高いと定義された」政治家の一年の仕事よりずっと重いものであるかもしれない。そのような想像力を持ち、他者の行いを安易に考えて、バカにしないニンゲンでありたい。

継続しない人はいつも振り出しに戻る。

30になっても50になっても70でも振り出しに戻るのだ。何のために何を目的として、やると決めたのか、その記憶さえ失う。

それは他者の行いを軽んじ、物事を安易に捉えているからに他ならず、どんなことも、適当にする人は適当なものしか創れない。

他者に称賛されるとか、孤独の穴埋めであるかなどではなく、生物として自分の命を何に使うと「決めている」のか、そして生き抜くために何を積み上げるのかが重要なのだ。

やらない人は、他者の積み上げたものを簡単に「才能」と呼び、自分がやらないことを「できない」と言い換える。

やってみて、自分が考えていたのと違ったならそう伝えることが愛であるし、単なる虚栄心だったとか、その時の思いつきだったなどと明確に発言してもらったほうがスッキリする。

中には何十年かかっても黙々と一人で続けている人もいるのだ。

命は他者のためにあるものではなく、自分のものである。

ニンゲンよりもずっと賢いハムスターたちは、閉じ込められたケージの中でも夜中にずっと走っていた。死ぬ日まで動き続けていた。そして、動けなくなれば死ぬ。

あれは、餌を探すためや、万一捕食者に見つかったときに逃げるためであり、本能によるものだと思われる。

もし、毛づくろいや走ることをサボったらたちまち病になり死んだだろう。生物とはそういうものなのだ。

生きるための活動と、どうでも良いことの区別がつかないニンゲンがいるが、やらなくてはならないことを理解できず、怠慢になる個体は生命力が弱いと感じてしまう。

生き物は生命力の強い個体と交わりたがる。

才能などどうでもよくて、生きる力があるかないか。生命はこれ一点にしぼられるように思う。

だから、生きる事に直結するものを疎かにする人は弱いと感じてしまうのだ。

何億持っていても、コンビニで加工品ばかり食べている人に魅力を感じないのはそれであるし、命をどこに使っているか見ることで、その人の価値観は簡単に見てとれる。

単なる掃除ではないし単なる洗濯でもないし、単なるガーデニングではない。

たとえ短命でも子孫が確実に遺り、何代もつないでいくことができたなら、それを繁栄とよぶのだろう。

ただ、今この瞬間生きている命は、ゴキブリでもニンゲンでも、ネズミでも奇跡であり、殺してきた過去全ての生命に感謝するならば、きっと自分のことを粗末には扱えないし他人も他生命も粗末には扱えなくなるだろう。

そこを、よく見て交わる相手を考えたい。

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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