私と家族の自然治癒 1

息子の下半身不随(腰椎は事故で1つありません)の奇跡に関しては拙著を読んでくださったらわかるのですが、あの事がなくても、それ以前から、私は家族や自分の不調を自然治癒させるようなことをしていました。

医学部も薬学部にも入っていません。また、医療従事者のもつライセンスは何一つありません。

ですから素人の自然治癒なんて信用できないという方には私の体験は論外かもしれません。

西洋医学が間違いだと言っているわけではありません。息子は、整形外科医の素晴らしい腕のお陰で、失った腰椎のかわりに金属をいれてもらっているのですから。それがなければ、歩かせることもできませんでした。オペをしていただいた医師には心より感謝しております。

 

私が伝えたいのは、そういう外科的なものではなく、精神からくる疾患や、内的な疾患などについてで、根本的な原因を探り、食事や環境、思考などを改め、生命のもつ自然治癒力を信じてみたなら、私たちの頭では理解できないことも起こるのではないかという可能性についてです。

 

日本人が信じている肩書やライセンス、エビデンスなど、すべてこの宇宙のなかで『人間が考えたこと』だと思ってきました。

まさか、宇宙の中の全生命体で、自分を含め人間だけが正しいという考えなどは絶対に持てないのです。

 

人間ごときにすべてがわかることなどあり得ない

 

というのが私の大前提です。

 

幼少時代

私は幼少期から、人間のいうことは所詮人間だけが考えたことだと思っていました。宗教は人間が創ったお話だとわかっていたし、学校の先生が完全だと思ったことは一度もありません。

 

そういう価値観を持ってはいても、病弱な私は赤ん坊の頃からよく病院に通い、薬を服用し、6歳で歩くことが困難になり免疫疾患になりました。

 

当時、入院をさせるのを躊躇する母に、

「大人しく寝ていることができるなら」

と、医師は自宅療養を認めました。定期的に病院には通いました。幼稚園の頃です。

 

一年生になり、体育はドクターストップがかかり、午前か午後だけ授業に出るような生活が続きました。友人と遊ぶこともできず、休み時間は一人で席に座ったままでした。

 

二年生になり、ある日大量の血を吐きました。ぐったりして歩くこともできなくなりました。母はそこで初めて通っていた大手病院ではなく、生まれたころ診てもらっていた街の小児科に私を連れていったのです。

 

診断は免疫疾患ではなく、心臓病でした。免疫疾患はとっくに治っているとのことでした。母は大病院に、何度も薬をやめたいと訴えましたがいっこうに聞き入れられず、それとともに私の状態は徐々に悪くなっていったと言います。ついに血の塊を吐くまでになり、頼るところがその小児科しかないと思い、遠くまでタクシーで連れていったのだと話していました。もう死んでしまうと思うほどだったそうです。

このときの記憶は明瞭です。タクシーのなかで血を吐きながらも、私自身は死ぬようには感じていなかったのですけれどもね。

結果的にその診断により、20代前半まで、毎年心臓検診を受けなければなりませんでした。

私が小6の頃、母は医師から

「17、8歳くらいで眠っている間に死ぬ可能性がある」

と告げられ、母は私にそれを伝えたのです。

私は驚きもしませんでした。それを聞いてこう考えたのです。

私の人生は長くないかもしれない。ならば

 

今日死んでもいいように生きよう

 

小さい頃から病気ばかりで、運動能力はみんなより遅れているし、遠足から帰宅するといつも全身が浮腫みました。

思ったことも言えないし、群れるのもきらいでした。自分の考えを話す相手など見つかりませんでした。

 

でも生き方だけは、生まれたときからずっと明確で、嘘つきが大嫌い、責任転嫁も大嫌い、誰かに自分の人生を強制されるのもきらい、国籍や肌の色や肩書などで同じ人間を差別する人をとても軽蔑していました。

それは今もまったく変わりません。きっと最期まで変わりません。

 

高校一年生のとき、現代社会の先生が、合成洗剤の危険性について教えてくれました。

途上国の人々がどのように先進国に搾取されているのかなど、綺麗事とはかけはなれた資本主義についても教えてくれました。

また日本史の先生が、教科書の嘘について逐一説明してくれました。

 

幼少期からずっと持っていた価値観…

人間ごときにすべてがわかるはずがない

隣近所や学校、テレビを観るだけで、充分すぎるほど、

社会のもつ価値観というものが「正しい」わけではない

と理解できました。

 

これが根底にずっとあったので、宇宙が創造した生命であるニンゲンも自然に治癒する力があるのではないかと考えられたのです。

 

私達はどこからかわいてきた生命なので、自然に委ねる方が賢いのではないかと。

 

そのなかで最も分かりやすかったのが、息子の奇跡(奇跡ではなく本当は単なる結果)なのですが、あの出来事だったということなんです。

 

本来、あれは誰にでも可能なことなのです。

 

2に続く

 

Pocket