誰かを赦せない人が抱えているもの

自分にとてもとてもいやなことをされて

それでも誰かを赦すという行為は

簡単ではないと思います。

些細なことも許せなくて、毎日何かに怒っているような人はたくさんいます。

でもその人は本当は

自分を許せていない

のだと思います。

 

すべては自分とよく言います。

 

例えば自分が被害を受けていたとしても

巻き込まれるに及んだ自分の行為や、そこに至る自分の経緯を許せないのかもしれません。

 

例えば

あのときあの場所に行かなかったら

あのときあの人と会わなければ

 

などの自分のとった行動や

 

あんなこと言うんじゃなかった

あんなこと考えるんじゃなかった

 

などの想いも含めて許せないのかもしれません。

 

そして責任転嫁して相手のせいにし続ける。

 

幸せではないですね。

 

誰かを許さない人は自分を許していないのです。

自分を裁き続けるのです。

死ぬまで不幸じゃないですか。

 

人を赦すのは、その出来事が大きければ大きいほど時間を要します。

 

皆さんとはちがうかもしれませんが、息子が瞬時に下半身不随になったとき、ウィンカーも出さずに息子を巻き込んだタクシー運転手をなぜか憎いとは思いませんでした。

反省もなく、綺麗事しか言わないその人に、時間をかけている暇もなく、瞬時に私の脳のなかから存在を消去した感じです。

ただ引きずったのは、その大学を勧めた自分や、独り暮らしを止めなかった自分など、事故に至ったそれまでの経緯を、あれこれ後悔していました。

物事の背景を見たとき、その個人に責任があるかというと必ずしもそうだとは言えません。社会だったり、親の育て方であったり、歩けばいいのに利便性を求めて車を作ったり、つまりニンゲンの文化だったり……

よくよく考えたら発端は自分たちだということもあります。

 

ただ、あれこれ思い巡らせても済んだことは変えられない。誰かのせいにしても、自分のせいにしても、無意味です。

 

だから、被告を恨むのではなく、その状態を治すことだけを考えたというわけです。

もしくはそのような社会が変わるようなきっかけを作るということも考えられますね。

 

 

 

許せないような辛い状況からの選択は

 

幸せに向かう

 

ことでなければ意味がありません。

 

大抵は準備なく、ある日突然、何かが起こります。だからといって、思い悩むのではなく、失敗を悔やむのではなく、誰かのせいにするのではなく、現状の自分を受け容れてしまうしか進む道はないのです。

 

もし、何かを許せないのだとしたなら、本当は何を許せていないのかを考えてください。自分に辿り着くど思うのです。

 

だから

 

誰かを赦すことは

自分を癒すことにつながります。

 

明日は今日より幸せでありますよう。

 

今日も皆さんありがとう、

 

 

 

 

 

 

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