視点を変えると世界は変わる

人間ってつくづく自分勝手な生き物だと思いますね。

いや、もちろん、自分も含めて。

どうしたら、地球上の生物を無視して、人間中心に考えられるのだろう?って考えたことはないですか?

動物の大半は必要以上に食べたり、まさか自分の生きる糧になる自然を破壊したりはしないと思うのだけど、高等動物と(人間がそう自分で思ってる)云われる人間が、なぜあちこちでそんなことを出来るのだろう?って考えたことはないですか?

本当に知能高いのかな?って。

私は子どもの頃からそんなことをずっと考えていて、そうしたら「頭いい」の基準がわからなくなって、突き詰めていくと、自然と共生する先住民族や、セントキルダのような生活や、よくいってもアーミッシュくらいの生活が適当なんじゃないかと思ったわけです。

 

これが根底にあるから、システムの奴隷と化した世界での優位にみえる職業や肩書=人間力の高さとは到底思えず、息子の事故の際も失礼ながら、どんなに腕のいい医師でも、生命の真実を未だ掴むには達してないのではないか、つまり、人間ごときに生命の神秘や宇宙の真実はわからないのではないかと思えたわけなのです。

多分100年生きても人間に理解できることなんて知れていると思ってます。

だから、時に「あなたは間違ってる!」と私にいう人がいたら、驚きをかくせません。

え?!自分が正しいと思って誰かにこんなに間違いだと言いきれる人がいるんだ!って。

そして、こんなことを突き詰めていくと、誰が正しいとか間違いとか、それも人間社会の中だけで論争することに、なかなか参入できるものではなくなります。

いちいち言わないけれど、いつも言葉を発するとき、頭のなかでは、前提条件を添付しています。

例えば「もしも日本で生きると限定するなら」とか、「もしも、今の時代だけに限って言うなら」とか「もしも今日死ぬとしたら」とか、何にしろ、すべて前提条件があっての言葉で、これをとっぱらって「もしも単なる生物としてなら」と考えてしまうと、全く違う選択ができてしまうのですね。

 

それでも、人それぞれ前提条件は在って、それを尊重して対話をすることが重要だと思いますが、自然の摂理に反すること以外は、間違いだとは誰にも決められないと思うのです。いやもしかしたら、自然の摂理に反することも自然淘汰という意味では正しいのかもしれません。

 

なので「私はこう思う」としか言えなくて、私が書いていることは、すべて個人的な見解、持論だとご了承ください。

 

個々の視点によって世界は変わります。

 

家族であっても世界が同じとは限らなくて、以前にあなたの赤って私の赤と同じ?に書いたように、目線=視点によって世界は変わりますよね。まずは世界が違うことを事実として受けいれて対話すれば、小さな揉め事は減るのではないかといつも感じています。

 

「小さな」と表現したのは、やはり前提条件があるのですが、それは長くなるのでここではやめておきます。

 

どこまで学んでも、真実の追求は終わることなく、いま、自分の中で漠然と出ている答えは

 

究極はなにもしないこと

すべてはシンプル

 

ってことくらいでしょうか。

 

私の言語が通じる相手があまりいないのに本など書いてもいいのだろうかと思いながら、ニーズに応えていくことが天命に任せることでもあるのだろうと、淡々と進んでみようと思っています。

 

このような、自分勝手な私の言葉を読んでいただいていること自体が、人間としての不思議であり、生きている面白さでもあり、答えの出ないことでもあります。

だからこそ

 

今日も皆さん、本当にありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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