名前を聞かなくても顔を見なくても、声を聴かなくても、そこに注目すれば受信できることもある。
だからインターネットで取引先を探すとき、そこだけ字が浮いたように見える人がいたり、私の家を訪ねてきた人のように、HPからエネルギー、つまり私のこめる念を感じて受信した人がいるわけで、説明もしないのにうちの子供たちの性格を分析できたりするのである。
それらは「真実は虚無リアルはファンタジー」
見えるものも音も触感もなにもかも自分の脳が受信している電気信号の変換の結果であり、実際、顔も形も性格も違う個々の物体である我々なのに、まったく同じ変換の仕方ができてるのかさえ証明しようのないものであるということが「現実」かつ「事実」である。
「現実しか信じない」私は、「現実しか信じない」とよく聞く中途半端なそれをチラ見しかできないでいる。
生まれたときに親の精子と卵子の関係か、胎児になる過程の環境か、遺伝子のなせる業なのか知らないが、個別の周波数はある程度決まっていて、数値で測る研究者の文献など読むと、それは一生変わらないものであるらしい。
多少の上下変動はあっても変わらないとか。
遺伝子の最先端医療を行っている知人に「彼らは45くらいが寿命ですよね」という私の見立てを話したとき、「僕も40代と予測してます。遺伝子で死ぬ年齢はわかります」と言っていた。
環境因子がよくなければ当然劣化退化は進むわけで、ゴキブリのように毒薬に耐性を持つ進化をしない限り地球には残れないのかもしれない。
都市に生まれ育ち暮らした自分が、移住のたびに田舎度を上げて順応していくと、面白いことに脳の受信機能が高まるようだ。
だからこそ私は、先進国が嫌いで途上国ばかりに滞在し、現地の人の生活に交わってきたのかもしれない。
結果、少しの気温の差や、汗の分泌、におい、何より誰かの考えているその電気信号なども以前よりずっと受信できるようになった。
自分より周波数の低い類といると、高い方は低い方には共感しない。
思考回路と同じだ。
たとえば知識の多い創造性に長けた人の考えることを凡人は理解できないが、天才は迷路を上から眺めるように簡単に相手の思考回路が見える。
天才でなくても思考回路の活性化している数が多い方が、少ない人の思考パターンを簡単に読めるという構図が当然できあがる。
背の低い人が190㎝ある人の頭のてっぺんを見ることができないように。
世の中にはもって生まれたものが、生涯付きまとう。
受信機の長けた人間の意見を受信機の退化した人間は理解できない。
だから信じることができず、崖から落ちる。
それが運命なのかもしれない。
遺伝に逆らうことはできず、たとえ一部が遺伝子操作されてもベースは変わらない。
だけど、もしかしたら必然の出会いで、肩がぶつかり5度くらい進む方向が違えば到達する場所が変わるかもしれない。
となるとその出会いも運命なのだ。
心の中に富を持たないものは、やたらと富を手に入れたがるし、愛を持たないものほど愛されたがる。
承認されないものは承認欲がきついし、~したいは全部、自分が~がないという証なのだ。
だから執着はいらないと思う。
自分を認めるということは、生まれたそのままを受け入れるということ。
裸になっても持てるものが真の富であることなんて、誰もがこの世に生まれたときに知っているだろう。
だから両親に感謝。
システム下の財産はなかったけど、本当の富を与えてくれた。
証明は今も父がしている。
都会に生まれたけど、ゴキブリや雀が「食べるものは地球にあるよ」「空はだれのものでもないよ」「土地はだれのものでもないよ」「人間だけのお話なんだよ」って教えてくれた。
間違いを教えてくれたのはいつも人間。
間違いまくっているのは人間の方だから。
証明は途上国の知人がしている。
支配者の周波数と依存者の周波数は同じだ。だから磁石のようにくっついて一つの世界を作る。
潔く自分を受け入れ、お話に洗脳されて金やSEXに執着して詐欺ビジネスを考えたり加担したりしないこと。
そんなGAMEまったく面白くない。
今日も殺して喰って血肉にする命に、綺麗ごとではなく心の底から感謝して生きよう。
そうしたら自分に不幸など訪れない。
目の前の人が不幸にあっても自分には訪れないものだ。
全員がそうすれば世界は瞬時に不幸がなくなる。
万物に幸あれ
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