引き寄せの法則だとか、自分がやったことは自分に還るとかよく言うけれど、結局あれは光の反射で樹々が緑に見えるのと同じなのだと思う。
簡単にいうと七色の虹のなかで、吸収されずに反射された波長の光が私たちの目に映るのと同じ。
人のエネルギーもフォトンは放出されていると言われていて、共感覚のある人がそれをオーラとして捉えているのだろう。
太陽も生命体、ニンゲンも生命体。
ニンゲンのオーラは肉眼では視えない場合が多いけど、本人が放出する色がそれだったりするのかもしれない。
反射として自分に還る場合、たとえばよくある妬み嫉みなどを誰かに向かって放出した場合、その人がそういった感情を元来持っていない種族だったとする。
そうすると、必要としていないその人は吸収しないので全部が自分にはね返ってきて、負のエネルギーを出した自分が結局さらにそれを吸収する。
負のエネルギーをまとった人間は、歩いていても同じ負のエネルギーを磁石のように吸収する。
周波数が水の文様を変えるように、空気、物質等、原子の動きがその周波数で化合し、自分の細胞ひとつ、ペプチドを作る電子の動きさえ体の中で影響を受け、世界そのものが負の連鎖を呼んでいくのではないか。
逆に愛の光で包まれている人は、たとえ傍らに座っている家族が七転八倒して苦しんでいてもまったく影響を受けないような、愛し愛される生命体とばかり出会い世界を創っている可能性もあるのではないか。
とはいっても誰しも良い部分とそうでない部分があり、先に述べたエネルギーが飛んできても、少しだけ吸収する人、全部吸収する人など、本人の持つものの度合いによって影響の大きさも変わっているように思う。
スピリチュアルを特別視することには強烈な違和感を覚える。
徹底的にリアルを視れば誰にでも理解できることであり、伝書鳩の感覚や火事の前に逃げるネズミの感覚を、普段すっかり忘れているのが人間というだけであるのかもしれない。
とにかく、物事は何もかもシンプルで、複雑にすればするほど、余計な仕事が増える。
断捨離じゃないけど、新しいものを作るより、原点に回帰していく方が簡単でお金もエネルギーもかからない。
こじつけのお話は不自然で、自然の摂理の下に平等ではあるけど、種の個体が全て平等なわけでもない。
生命力が強い人がモテるのも自然。
弱い生き物が死んで逝くのも自然。
間違った選択をすれば穴に落ちるのも自然。
そうやって世界は循環し淘汰され生まれ逝くのだと思う。
潔さは美しさ。
世界を平和で幸福にしたいなら、まず自分が何を放出し吸収するか、反射の世界から考えてみるのも面白いかも。
今日も皆さんありがとう
0 comments