どんなに信じていても、人は暫くするとなぜか自信がなくなるようだ。
信じ続けることはある意味、才能なのかもしれない。
毎日同じような時刻に起きて、同じ会社や学校に行く。それが数え切れないほどの多くの日本人のパターンだとしたなら、誰もそこに疑問を感じることはなくなるのだろう。
ある人は言いました。
死の床につくとき、あなたが後悔するのは、負ってきたリスクではありません。
あなたの心を満たす、最大の後悔と悲しみは、避けてきたすべてのリスク、つかまなかったすべての機会、立ち向かわなかったすべての恐怖でしょう。
私達は、日々様々なことを選択し、生きています。
何を口にするか、何時に寝るか、誰と話すか、何を着るかなど……
淡々と流れるように行われることは、その意味を意識することもなく、気がつけば何十年と過ぎていきます。
誰かになにか思われるとか、そんなことばかり考えて、毎日人の目ばかり気にしている人は Continue reading “とどのつまり好きに生きればよいわけで”
肉体が欲するものと魂が欲するもののギャップをいかに埋めていくか、私はずっとそんな作業をしていたように感じます。
多分、それは記憶にあるところの一、二歳くらいからで、自分が遊ぶことが優先ではなく、遠目に大人や子ども、人間全般を観察していたように想います。