保護中: 事実は小説より奇なり 3
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人生の中で、例外的なことは数えきれないほど起きる。 それを人は奇跡と言うが、全ては単なる結果である。 ではなぜ、人智では起こり得ないような奇跡という結果が起こるのか。
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人間関係において、過去に何らかの行き違いで疎遠になった人とは、時に10年20年を経てでも
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子どもの頃からどこかに定住したくなくて、結婚しても絶対に家は買わないと決めていました。 多分潜在的に、一生その男と
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※これは事実に基づいたフィクションかもしれません。 当時交際してる相手の家にいる時、メッセージを受信した。 見ると、彼からだった。 偶然、同い年。 どちらも22歳下だ。
※これは事実に基づいたフィクションかもしれません いつまでたっても帰る気配がないので、
※これは事実に基づいたフィクションかもしれません 決して忘れることのないその日。 五月、土曜日の昼下がり。 美しく晴れた青い空だった。
うだるような暑さ。 滝のように流れる汗。 それを流してくれる水の恵み。
夏休み。 そしてお盆。 不自然な動きにも見える直角に曲がって
秋ではなく、残暑厳しい8月ですよ。 ええ、まだ8月です(笑) でも読みたい本は読んで字のごとく
昭和に生まれた自分。 何も変わらないものや失ってしまったかのようなもの。
不思議な事ってのは生まれてから今までしょっちゅう起こることで、わざわざ人に言うまでもないのですが、最近は面白い?ことが多いというか、楽観的にとらえてます。 例えば今日はまた、
5月になると思い出すことがある。
笑顔は周囲だけでなく、本人の脳にも幸福だという錯覚を与えるというなら
怒涛のようにやらなくてはいけないことに追われる日々。 残念ながら、自分の時間はほとんどない。 やりたい事ではなく、やらなければいけない事。
また飛ぶ夢を見た。 私の夢は『君の名は』のように夢から覚めても忘れることのない明晰夢が多い。
3日前、畑仕事を終えて帰るとき、無性にパディを連れてきたくなった。 (じっとしていないので野生動物にやられる可能性もあり断念していた) かわりにたくさんの雑草を土産に持ち帰った。 それは虫の報せだったようだ。
今冬は寒さが昔を想起させますね。思えば2000年前後からおかしなくらい暖かくて、
今日は九州まで雪が降るらしいですね。 明日の方が寒さが酷いと先週から言われていました。天気予報ってものすごいですね。精密に何日の何時が雪……とまでわかるなんて、いったいどうなっているのか
しばらくぶりです。 もう2023年になってしまいました。今年もよろしくお願いいたします。
シェリーの時同様、今日は単なる日記としてこの場を使わせてもらっています。 私にとって、真っすぐに魂を置ける場所はここしかないので、活動もせずに自分勝手に記録に使うことをお許しください。
我が愛しのシェリー 2022年1月13日20時 永眠—
2016年以来、永らく当サイトを訪れてくださった読者の皆様に 深く御礼申し上げます。 この度、MAHIRO SHUの活動をSTOPすることに致しました。 今後、私にも皆様にも様々なドラマがある […]
祖母は死んだ人も生きている人も視えると話していた。 場所も視えていたので、生命の意識を感知する何かが原始人みたく遺っていたのかもしれない。
ココに始まりコロンに至るまで全員が教えてくれたことに加え 腰椎を失った長男が
流れのない水が澱むように、思考が進化または変化しないものも同じで成長なきものは腐ってゆく。
これらは私の勝手な思い込みかもしれません。 実際はもう原子になり空気中に放散され、一部は土になり、海となり、すべてがファンタジーかもしれません。
運がいいとかまぐれだとかいう言葉を使う人は想像力が欠如している。 奇跡なんていう言葉も本来はこの世に無用のもの。
風があるから幸福で、空があるから生きている。
夏のイベントがまた一つ終わった。
夏の風は遠い記憶を蘇らせる。 子供の頃からずっと夏が好きだった。 大阪中心部のあの不自然なアスファルトの焼けた
形態模写さながら、形だけ模倣して誤魔化したつもりになる人は中身がないという証。 他者の積み上げた実績を大いに馬鹿にしている傲慢な類。 しかし、昨今の日本の形態模写は
幸せの定義はひとそれぞれ。 心から万物に感謝する永遠の幸福もあれば、何かを手に入れないと幸福になれないニンゲンもいる。愛されたいと欲し続けるその執着を手放せないニンゲンは死ぬまで不幸だけど、表面的な誤魔化しで生きているよ […]
朝4時半に起きて、土鍋で米を炊いて、お弁当のおかずと朝ごはんの準備を同時に始め、母が亡くなってからは、まずは仏飯をお供えという流れに変わりました。 昨日の仏飯は米酵母に。庭と畑に地道にまいてみたり、パンの酵母にしてみたり […]
能ある鷹は爪を隠していない。 とても辛いことがあっても、相手に心配させないために笑っている人は大勢います。
ニンゲンは自分たちのことを過大評価している。 先日の法要でご住職が説法をしてくれた。 私や子供たちが大いに納得したのは
大人はなんでも難しく考えてしまう傾向にあるのか。 はたまた、人に難しく伝えることで自分が頭が良いと思われたいのか。
朝のblog更新作業や、新聞の記事チェック、勉強の時間など、
生き物はこの世に生まれ、必ず死に向かう。 その一方向にしか進まないのが絶対的な事実である。 ということは
最近はまた米酵母を作っていて、それでパンを焼く。
すべてはニンゲンの創った主観的なお話。 どれも同じ。
幼少期からずっと、私は面白いものを探していたのかもしれない。
僅かではあるけど、うちの畑でも野菜が穫れ始めている。 堆肥も庭で作っているので、それを畑にまく。 真冬から少しずつ準備してきたもの。 時間がそれを育ててくれる。
誰かにとっては現実でも、自分にとっては机上の空論、ということがたくさんある。 頑張って机上の空論を集めたとして。 確信を持てるのは自分で確認、体得したことや、長い時間をかけてたてた仮説を科学者が次々と証明してくれた時くら […]
意識によって世界が異なる。 意識は言葉から読み解くことができ、自分の中で瞬時に翻訳をすることで得られる。
儀式というようなものは、自分の為にやっているのだと思う。 母が逝って、それに伴う一連の儀式を毎日行っている自分や家族を俯瞰的に眺めた視点。 それらは、何らかの行動によって自分の心を落ち着かせたり、納得させるためにやるよう […]
冷静に考えれば子供にでもわかることがある。 最も危険なのは・・・・・・
勉強は金の為にするものでもなく、自分の為にするものでもない。 社会の為にするものだ。
人間の行動はパターン化されていて、時代によってまるで異なったもののように視えることでも、実際は同じ動きだったりする。
美しさは魂である。 『老い』を極端に拘るニンゲンがいるが、外見がどんなにくたびれたように視えても
今日はリンの命日だ。
家の仕事は無限だ。 外の仕事だけしていたのは14~18歳の数年で(学業と併行していたが)家事育児仕事全部やっていた期間の方が長い。
幸福は日常の何気ない刹那に散りばめられている。 なるたけ人間の創ったシナリオに洗脳されず形に拘らない生き方を続けているが、それは所謂『普通の形』の中で生きてこなかった両親が築いた二人の幸福の下に在って、
過ぎた時間に想いを馳せ、それを生きる糧にすれば、良くも悪くも体得として経験値がひたすらあがっていく年齢の積み重ね方ができる。 過ぎた時間に執着し、過去の人間を馬鹿にしたり恨んだりする人は、
まるで自分の意思がないかのような思考が右往左往する生き物は、もしかしたら既に死んでいる? 意識がもはやそこに無い? 不思議な体験は祖母だけでなく、母についても頻発している。
毎日、どこかしらで至福を感じることがある。 昨夜、同居人が 「脳科学的に幸福感が強い人は○○らしいよ」 と、私の幸福度の強さを語ってくれた.
誰しも心の中に光と闇がある。 選択の連続で日々生きる中で、
洗脳された知識なるモノを信じてしまうと、それは思い込みとなってその個体を劣化させる。
死んでからなら、本当の事が視えているだろう。 誰しも常に選択をして時間を紡いでいるが、選ぶものを間違ったら地獄堕ち。 物凄く簡単(笑)
猿は昨日まで猿で今日からヒトになるわけではない。 もしかすると、既にサピエンスではないヒトが町を歩いているかもしれない。
ニンゲンのパターンは面白い。 事実を捻じ曲げて自分のお話を創りたいのはわかるけど、それをしてしまうと本人の心根が透明人間のように視える。 知らんふりするのは一応最低限の愛なんだよ(笑)
誰がどう生きようが放っておけ。
出会いは幸せの為だから。 何年もかけて伝えてきた。 諦めなかった。
理解できない人にどれだけ伝えても無駄。 10年やっても無駄。
昨日はクロスバイクで30キロ弱は走ったように思う。 交差点でいちいち信号停止しなくてはならない都会なら、この距離を爽快に走れない。
人間には予言などできないのかもしれない。 先に情報が回ってくるから逃げている人が殆どで、彼らには火事の前に逃げる第六感は退化して、もうないのかもしれない。
感知する誰かからのエネルギーの質。 第六感による目の前の人の 「このひと、なんだか怪しいよな・・・・・」 っていうあれ。 何度考え直しても、耳障りの良い言葉を聴いても 「なんか悪意を感じるんだけれども」 っていうあれ。 […]
庭の雀たちが5時ごろ起きる。 この季節、毎朝彼らの声が目覚まし時計。
静寂の中でシェリーと風に吹かれているだけで、とても幸せな気持ちになる。 多分、シェリーもそうなのだ。 樹々の葉が揺れているのを見ているのか。 鳥たちの声を聴いているのか。
ニンゲンは知能の高い動物ではなかったのか。 だからこんなに増殖したのではないのか。 『進化』してサピエンスになったのではないのか。
迷ったときはこれを指標にしよう。 地球が与えてくれた大事な感覚だ。
付和雷同
バラの季節がやってきた。
人間ごときに生命のことなど絶対にわからない
今日、2度目の誕生日を迎えました。
朝はマサラチャイかカルダモン珈琲を飲む。 まだ暗いうちに、独り台所に立ち、アフリカで買った木製のすり鉢にカルダモンを一粒容れる。
一つの事象で多くの目的を達成するのが天才的な思考だ。
何かを考えるときの思考の深さの度合いで、世界は分断されている。
ニンゲンは死に際にならないと気づかないようだ。
今日は久しぶりに恋愛について語ってみましょうか(笑)
長い時間をかけて自らが生み出した創作物を世界に知らしめたいとおもうその欲求は理解できる。 しかし、クリエイターたるものは、その承認欲や支配欲よりも、もっと先を見据えなけえばならないのではないか。 これが教育についても創作 […]
視野は基本、立体的に無限大。
ヒトに深く関与しない若者が増えたというけど、若い子たちはみなガッツリと私と密になった。
この年齢になっても思考は進化する。 かつての自分と遠くなった今の自分の世界観に否応なく気づいている。
コロンの喪中ゆえ、新年のご挨拶は控えさせていただきます。 昨年はMAHIRO思考を出版した後、ホームページの更新をあまり行わず、700本余りの記事も、現在は半分以上非公開にしてメンテナンスに入っています。 久かたぶりの新 […]
動物は自分のメンテナンスを自分でする。 天敵に喰われても、どんなに痛くても苦しくても耐えているように見える。 人間に閉じ込められ、ワクチンを打たれたり去勢され、虐待されても耐えている。
世界各地で、差別について抗議する人が増えているとか。
きっと人々は皆、ニンゲンは進化していると思い込んでいる。 だけど、ふと立ち止まり、振り返ってみれば
世の中には恋人や子供など、誰かを支配したがる人がいる。
ここに越してきて、日本が少し好きになった。
自分が大切にしていることは他者にとってはどうでもいいことだ。
朝から事務作業をして、ホームページのメンテナンスをして、そして娘にお昼ごはん作って、庭に出て植え替えをし、シェリーの相手は隙間、隙間に(笑)
雨がやんで、山の頂が美しくなる。 かつてビルの谷間から見ていた空と、ここの空とでは、同じ命の時間を費やす環境として、あまりに差がありすぎる。
かつて、10年私を待ってくれていた人が居た。
毎年、この季節は特に幸せな気分で過ごすことができる。 とうの昔の記憶になるが、誰かに恋をした時の、あの感情に似ている。
3月末日を持って、20代から持っていた携帯電話を持つというスタイルそのものを辞めることにいたしました。
2020年1月31日 PM20:27 2歳7か月
今までで一番永く暮らした処でした。 実家にいた学生の頃から「将来あそこに住むのだ」と決めていた場所で、土地が好きだったのでなかなか離れられずにいました。
子供の頃、人前で泣いたのはたった一度。 病弱で休みがちな小学生の頃
この数年でかなり纏まりました。
海が好きだ。
あなたに逢いたくて
リンはココとコニーサンの13匹の仔の中で最後に残った唯一の存在でした。
カーネーションをプレゼントするのが一般的なのかもしれませんが、私は10年ほど前から
新年度で平成か終わることもあり、自分を顧みる機会にさせてもらっています。
現在、独り遺ったコニーサンとココの遺伝子。 もうみんな逝ってしまいました。 リン。雄です。
彼らとの出逢いで、どれだけ私の価値観が変わったでしょう。 彼らとの出逢いで、どれだけ人間の
名付け親は娘です。 2016年10月19日、ココとコニーサンの娘として産まれました。
本当は他人のことなど関与せずに、しっかりと自分のことは自分で【判断】して
尊敬する科学者がいる。 彼に私は問うたことがある。
人によって住む世界は異なる。 同じだと思ってしまうと、コミュニケーションがうまくとれなくなる。
わからないことは わからなくていい。
普段私達は無限にあるこの空間の平面的なごく僅かしか見ていない。 それによって、喜怒哀楽を表し、幸福感や焦燥感を覚えている。
子どもは産まれてすぐ親をみる。または自分を育てる人を模倣する。
目の前にいる人は、地球が組み込んだ必然の出逢いだから、形にこだわらず、他人の意見に拘らず
しっかりとした明確な意思があり、自己を確立するがために、真実の追求などを目的とし
恋い焦がれた人に対して、執着してしまう人は多いようです。
人々は偶像を崇拝する。 よくもわるくも、自分が創り上げたその偶像の
自分のことや他人のことを客観的に視ることは容易でないのかもしれない。 なにかに追われて、自分がキャパオーバーになると、どうしても
離れたくないって思うような人ってどんな人だろう。 還りたいって思う人ってどんな人だろう。
スピリチュアルって、特別なものではなく、徹底的にリアルを視る力。 宗教も本来は同じようなものかもしれない。 それらを……
愛の確認の一つの方法にこういう見方がある。 昨日の随筆に書いた「隠す」行為もその一つなのだけれど、恋愛だけでなくすべての人間関係において
ビジョンを語ることが大切だとよくいわれるが、生きる目的やその仕事をしている目的をきちんと他者に伝えられる人と
自己を確立すること…… そんなに難しいことではない。
視点を変えれば、瞬時に見える世界が変わる。 人を変えようとする人は多いが、それではその人は変わらない。
今日は、ありがたいことに、旦那が以前から提案してくれていた
私が持つ違和感を、周囲の人が持つことはあまりなさそうだ。
夫の誕生日なので、お弁当にパエリアをつくろうと3時に起きて下ごしらえをしてから、またひと寝入りしました。 今日に限ってハムスターズの様子を見に部屋に入らなかったのです。
好きな人とじゃなきゃ、仕事はできない。 仕事という名詞を使うことが仕事なのではなくて、それによって
昨年まで、家に引きこもっていることが多かったのだけど、今年はニーズがあるので応えている。 ひとたび、応えようと決めると数えきれないほどの新しい出逢いが訪れる。
例えば特定の誰かがいなくても、親に愛されていなくても、配偶者に愛されていなくても……
昨日、異空間に旦那と二人で行ってきた。
知っているだろうか…… 死んだ子どもの亡骸を一週間以上も離さない動物がいることを……
老いていくことを、とても怖がる人が多いように見えるけれど、私はいくつになっても、昨日となんら気分は変わらない。 記憶に残るもっとも憂鬱な誕生日は
人間社会の中で生きていると、まるで自分が万能な神にでもなったかのような錯覚に陥ってしまうものだ思う。 だけど、国を越えて種を超えて、ニンゲンが絶滅してしまうようなことが瞬時に起こることだってあリ得る。
ミルキーとは同じ雌なので、とても気が合いました。
生まれたときから、一緒にいます。 生まれる前から一緒にいます。
食べることの意味もきちんと考えたくなる。 菜食主義だからいいわけじゃない。大豆やトウモロコシのために、森林が破壊され、動物が焼かれたり土の中にいる微生物も想像できないほど殺されていたりもするだろう。
自分が人を信じる場合、他人も人間を信じていると思い込む。 自分が正直に話す場合、他人も本当のことを話していると考える。
自分の人生は、徹底的に自分との闘いである。
栄華を極めたものは衰退する。 それが自然の摂理だ。
心が満たされていると、何も欲しくなくなる。 今日は自信と謙虚について考えてみた。
昨日の続きになるけど…… もしも自分が自分じゃないとして……
願望ではなく、どうしてもそうなるとしか思えないこと。 説明がつかないこと。 それが……
何かを欲しがるその想いは、本当にそれを手に入れられるのか。 それを思考の現実化と呼ぶのだろうか。
組織的な活動をする時、楽しければいいという表現をする人がいる。でも私と皆の『楽しい』の概念は、少し違っているように思う。
こんなところで日向ぼっこしてる。 世間は休日だけど、我が家は誰もいない。 私は雇用されているわけじゃないけど、今朝も五時に起きて家の仕事はたくさんある。休みはあると言えばあるし、ないと言えば全くない。
ファンタジーの主役になるためには、自分の現実的な立ち位置を常に俯瞰的に見る必要がある。
一日に出来ることなんて限られているのに、やりたいことがありすぎて困る。
世の中には、名前も出さずにライターという内職をして、一本いくらでお金をもらって記事を書いている人と、きちんと素性を明かして記事を書いている人がいる。
友人にビジョンについて語った。
潜在意識などという言葉が流行りだしてどのくらい経つんだろう…… 人を見抜く心理学がなぜ面白いのだろう? わからないほうが多分楽だと思うけれど(笑)
どんなことも、やりきってダメならいつかきっと納得できる。
最近、ある場面に立ち合うことになり、また新たな恋愛における側面が見えてきた。 これはもしかしたら既に脳科学や心理学などで、立証されているかもしれないけれど
人格が高いといわれる人は有益なものを他者に与える。だから自然に人が集まる。 なるべく世界を見て、自分は搾取する側にはまわらないようにしたい。
本当に自分が願うものや望むものを、ニンゲンにはなかなかわからないようだ。 自分のことなのにわからない。 それが生命の神秘でもあるのかもしれない。
孤独が怖くて不安になる人があまりにも多いように思える……
幸せというものを勘違いしている人が多すぎるのではないかと思う。
自分の奥の方から湧き上がるこの想いを、私はエネルギーと表現しているが……
出会いは幸せのため 私はそう思っている。
大事な人は、失って始めてわかるという人が多い。 それをアホと呼ぶけど。私は。 たとえ80年生きても、本気で愛せる人なんて一人会えたらラッキーで。ほとんどの人は一人も会えないはず。 ましてや、お互いに愛し合うとなったら、そ […]
悲しいなあ。 彼らはニンゲンをどう思っているんだろう。
何年も前から予感だけがあって、その道程が見えなくてここまで来た。 2013年の春、ふと頭をよぎった森の中の光景。そのときに書いたものがこれ。
テーマを決めて書くよりも、随筆と題した連番しか打たないシリーズのほうが
何かを打破したいとき
何かを手放したときの後戻りできない開きなおりと、少しの寂しさ……
どんな出会いも、自分を通してしか見ることも、感じることも、触れる事もできない主観的なもの。
物事はどんなことだって、ある日突然起こる。
君は幸せなの? あなたは幸せなの?
自分はどこにいても変わらないはずなのに、此処にいる自分とあそこにいる自分は確実に何かが違う。
人の潜在意識はその言葉に表れている。 たとえばそれが
ハワイアンソング聴きながら、コナコーヒー飲む。 南国系島国の曲はハワイアンでもタヒチアンでも心が穏やかになる。根っからの南国好き。フィジアンがいいけど日本では圧倒的にハワイアンが多い。 ハワイアンソングを聴くと、不思議な […]
世界観はひとそれぞれで、この島の中に限ったお話をする人もいて、先進国民に限ったお話をする人もいて、ニンゲンに限ったお話をする人もいる。 人の価値について
世界の大小は本人の目を通して見えるものだけでできていて、それはとても主観的なものだ。
自分が出したエネルギーは必ず還ってくる。 どんなに時間が経ってもそれは
久しぶりに一日中、英語のスピーチを聴いていた。 いまや、自動通訳機が配布され、英語なんて出来なくても困らない……が。
2ヶ月ぶりに東京に来た。 今回は4泊、けっこう長めの滞在だ。
先日から、ある人に首ったけだ。
おかしい。 なんだかおかしい。
人はいくつになっても、帰る場所がほしいのかもしれない。 それは、必ずしも故郷ということではなくて……
随筆シリーズも30を越えた。 とあるビジネスチームにセミナーをしていて話したことがきっかけだった。 脳を活性化するには
自由という言葉を使うとき、あまりにも頓珍漢な人がいるので、そうで無い人との違いを考えてみた。
生ぬるい風に当たりながら、日差しだけは夏の終わりに近づいていることを感じている。 かつて夏は一番好きな季節だった。
すべてはシンプル。 自分を掘り下げたいとき、極論を自分に突きつけてみる。 そうしたら、簡単に自分の本音が見える。 人は案外、自分で自分の本音に気づいていないものだ。
知的好奇心は、活力を得るもののひとつではあるが、全体からそれを眺めると、抑制する力を持つことのほうが大切だったのではないかと思うこともある。
普段から、自分が何に緊張するのか、意識して過ごしている。 緊張というのは、私の場合はポジティブなものだ。
都会の中に暮らしていても、そこから切り離されたような場所がある。
忍耐力は人々が憧れる才能の一つだと思うし、継続力も同様のものだと思う。
どんな存在も、一言で言い表すことができない。 それを決めてしまおうとするから、哀しみがうまれるのかもしれない……
今までの自分を疑ってみる…… すべてをひっくり返すような視点が降りてくることがある。
いつだって大切なことは目には見えない 耳には聞こえない……
どんな形であれ、出逢う人とは出逢うものだ。 それに気づかずに通り過ぎてしまったら、運命はまったく違うものになるかもしれない……
遠い場所だったはずのどこかが、ある時を境に故郷のようになることがある。
許すことって簡単なようにも思うのだけれど……
偶然なのか、必然なのか…… 異国に行ってしまう人と、会う約束をしていたのにもう会えないかもしれない。 そう思いながら連絡をした…
半年ぶりくらいに同居人のブログを読んだ。 そうしたらそこに書かれていたことが……
象はニンゲンから見れば象以外のなにものでもない。 豚はニンゲンから見れば豚である。
半世紀近く生きてて、子どもを何人も産んで育ててると、いちいち勉強しなくてもわかることってある。 遺伝……てやつ(笑)
たくさんの情報が溢れているように見えても、本当のことを発信している人は多くはない。 そのすべてが主観的な意見であり、主観的ということは、地球上にいるヒトの中の個体が持っている世界観を話しているに過ぎないわけで……
どんなに憧れても羨んでも、人は誰かにはなれない。 だから、目標は自分で決めた自分像でよいと思う。
当たり前になってしまうと、何もかも面白くないんじゃないか…… 作業は慣れていいのだけど、人との関係性は簡単には慣れることはできない。
すべては循環…… 命なんて単なる循環の一部なんだ…… そんなことはよくよくわかっている。 公園に横たわる
ノンフィクションファンタジーについて.。 昨年、とあるイベントで今年の目標として掲げたものが数点ありました。 私はそれを自然に引き寄せたいと考えていました。
どんなに信じていても、人は暫くするとなぜか自信がなくなるようだ。 信じ続けることはある意味、才能なのかもしれない。
本気で想う…… どうしてニンゲンなんかを信用するの? どうして私を信用するの?
今朝、ある人の夢を見た。 荒廃した都会、日本。そこをある人と歩いていた。 「奇跡は準備ができた者にだけ訪れる」 この言葉を私に送ってきた彼だった。
あの日、あの時もしそこに行かなければ… 出会いは、こうして数え切れないほどの偶然が積み重なって訪れる。
毎日同じような時刻に起きて、同じ会社や学校に行く。それが数え切れないほどの多くの日本人のパターンだとしたなら、誰もそこに疑問を感じることはなくなるのだろう。
先日とあるビジネスチームにセミナーで話したことがある。 「脳の思考回路を変えるために、普段とは違うことをしてみましょう」という内容について
ふと入った郵便局。手続きを待っている間、椅子に座って目にとまったのは
哀しみが積み重なっても、それをきちんと自分で受けとめて生きていると、いつの間にか、心の中に圧縮されたメタルスライムが出来上がる。
私は食欲にも、性欲にも、物欲にもあまり執着しない方で、基本的には「今日生きているからそれでいい」と思っている。
ジリジリと照りつける真夏の太陽の下でも、人々は風を心待ちにしている。 まだ夏の盛りだというのに黄昏時は、別れを感じさせる。
大人になった、もしくはティーンエイジャーになった自分の子の、赤ちゃんの頃を振り返り、あなたは小さいときこうだった、ああだったとやたらと子どもに語りたがる人がいますが…
外出していて夜中に帰宅したとき、コニーサンが寝床から出てこなかったのが不思議でした。
こんなに誕生日が嬉しいなんて思いもしませんでした。
2018年3月24日 また悲しいことが起きました。 小さな小さな彼ら。 なぜ、私にそのようなことを・・・・・・。
もしも一匹しか一緒にいなければ もしも雌雄のココトゥンとコニーサンしかいなければ きっとわからなかったことがあります。 ジャンガリアンの彼らとその子どもたち ロボロフスキーのローリーと 一緒に生きたからわかったことがあり […]
私は絵本が大好きです。 子どもの頃に読んでもらったのではなく、我が子に読みきかせることによって、絵本とたくさん出会いました。 絵本のメッセージ性は高く、また絵画的な要素も含めると、価値の高いものがたくさんあると思います。 […]
もしも生まれ変わったら 二度と人間に見つかるな・・・・・
思い返す幼少期・・・・・・都会の中の下町。
空いたケージに娘が連れてきた、ペットショップで処分前だったロボロフスキーのローリー。 「はげてるし、噛みつくし、死ぬかもしれませんよ」 と店の人に言われセール品で350円だった安い命の価値。 ペレットとゼリーのみ、水も飲 […]
恋愛は見ず知らずの他人との人間関係の構築なので、そこから学ぶことはとても大きいと思います。
個人的な話なので興味のないかたはスルーしてください。
今朝やっと花が開きました。 珍しい色です。 この色、きっと母が大好きなんですよね。
18で結婚し、何もわからぬまま、一人で肩肘はって生きていた自分を思い出す。 満二十歳で長男を産んだ。