随筆 156

ニンゲンは自分たちのことを過大評価している。

先日の法要でご住職が説法をしてくれた。

私や子供たちが大いに納得したのは

「人は一番言いにくいことを始めに言わなければいけない」

ということだ。つまり綺麗事でごまかしたり、嘘で先延ばしにするなということで、誰かが死んだ後もそういう家族は・・・・・

という話。

また、生きるということは苦しみが伴うとも。

もちろん生きてりゃ誰でも知ってるだろうと思うのだけど、死ぬまでこうしてほしいああしてほしいという人々が後を絶たないとも。

そしてそういう家族は・・・・・・・そうなっていくだろうな。

介護業界に携わる人から同じような話を聞いてきた。

でもまあ、自分とは異なるならそういう類に関与しないことが最善。

自分の世界には入れない、と決めておくべきだ。

かくいう私も若い頃は、自分が悪いのかもとか、日本人の価値観に合さなくてはいけないのかとか何十年と考えてみたものの、40を過ぎてから一気に吹っ切れたのは、まちがいなく、息子の奇跡があったからだ。先にこうなると私が言って、現状がそのようになっていく不思議。間近にいた医療従事者のあり得ない応援に心からの感謝。あの一件で、あなたはおかしいと言い続けていた周囲の一般人の目も変わった。

続けて本を出版し、ブログを書いて

「あなたには何が視えているんですか?」

と訊ねてくる人が多くなった。

皆同じだ。自分の目で視えているものはその者にしか視えない。

頭に電極を埋め込んでモニターで見たとしても同じものかどうかは永遠に証明できない。

科学は常に仮説である。

科学とは明日変わるかもしれない不確かなもの

なのに創造しないニンゲンは、誰かの仮説をコピペして『エビデンス』と叫んでいる。

どうでもよい。

「知っている」

ということさえ、知らないということである。

自分しか視えない目を持って生まれた者には、昆虫や植物や土と自分の共通点がわからないのだろう。

全生命体が信用しないものを信用してはいけない。

ニンゲンの技術は、使うことができたとしても信用はできない。

でも哀しいかな、そのおかげで想像力と創造力をブラッシュアップできてきたわけなので、やはりそのような技術者には感謝である。

今まで怠惰になることに手を貸してくれたニンゲン各位、それに感謝も何もせず、当たり前のように権利を叫び享受してきたなら、その傲慢なエネルギーのつけは必ず死ぬまでに自分に還ってくるだろう。それが短期間で済んだならラッキーだ。

陰で犠牲になった離島の猿たちの意識は、その『製品』に乗っている。つまりその『製品』が彼らの意識で完成され、ニンゲンを殺戮するものに変化するのは至極当然の結果なのである。

意識的であり無意識であり、荷担者として生きてきた私たちの中に、一切の懺悔もないとしたなら、今起こっていることは自然の摂理の法則に何ら逆らってもいない予測可能な出来事である。

もしも自分の潜在意識が視える人なら『先のばし』にせず、今日この瞬間から折り返すことも可能である。

かつて高齢者さんに営業していたとき、

「まいた種はすべて芽が出るのよ」

と言われたあの話。ここ10年ほど、知人や駆け込んできた人々の家族の病や死、コニーサン達、祖母や母の死、父の現在を視るだけでも納得できる。

誰一人、自然の摂理に逆らえていない。

当然だろう。

私も逆らえない。

 

ニンゲンの抵抗を信じるよりも私は地球のエネルギーの循環を視ていたい。

明日死ぬかもしれないから、どうでもよいことになるたけ命の時間を使わないようにしよう。

 

コニーサン本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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