今日の朝ごはん
自家製味噌と自家製野菜のミソスープ
珈琲
フレンチトースト
自家製ヨーグルト
自家製ジャム
ブロッコリー
レタス
自家製レッドオニオンマリネ
うちのルッコラ
無農薬八朔
バナナ
国産キウイ
パイン
私は断食中今回は野菜スープとドリンクでやっていて今朝は味噌スープ。ハーブティーだけの時もありますが適当(笑)
今日も同居人と娘が起きる前に朝ごはんの用意も完了、いつも同居人がやってるリンジーたちの給餌掃除、娘のロッピーの餌も終了。
誰がいてもいなくても自分がやることは変わらず、いつまで一緒にいるかわからない二人に期待するよりは個としての生き方を確立する方が建設的だと思いました。
もちろん二人とも家のことも役割分担の一部としてやってくれていますが、合わせるよりも自然に合う人と笑い合う生活の方が楽しいので思考をシフト。逆に傾倒されるのも嫌いなので。
でも昔のように抵抗で別れるのではなく、自然にフェードアウト、ないし成長のスピードの差異からの並走、みたいなイメージで地球にお任せしようと思います。
子どもの頃から女子はとかく「グループ化」したがりますが、生まれた時からそれが苦手な私は、グループの中に居ても、彼女らとすべての時間を共に。。。。。なんてことはしたことが無く、学校に行く相手、クラスで話す相手、クラブの相手、帰宅する相手、放課後に外出する相手は全て違っていて、一度に様々な人間と付き合うのが得意でした。
かといって嫌われるかと思いきや全く逆で、中学高校時は男子が全員私に敬語(笑)怖がらせているわけじゃないけど「私達にも差別なく声をかけてくれる」などとクラスで静かにしている女子たちからも言われ(笑)それは自分が幼少期に病弱で休憩時間も誰とも話さず黙って座っていたからかもしれませんがマリーアントワネットじゃないので「声をかける」という表現をされるのは違和感があります。ただいつも自分たちとは違うって言われ、孤独ではないけど孤立はしていました。
細胞はもうすっかり入れ替わっているのに、強弱はあれ生まれた時の資質と何ら乖離なき過去から現在を振り返ると「人は変えられる」ってのはあまり信憑性がありません。エピジェネティクスで多少のスピードや迂回路は変化するかもしれませんが、死ぬ前の着地点は同じになりそうな気がします。
でも生まれつき生きる指針みたいなものがない人は、二転三転右往左往できるので、自由に柔軟に変えることができるというのが利点かも。
同じ類ばかりだとぶつかりまくってうまくいかないこともあり、真逆の類がいるから昼夜の区別がつくように循環が上手くいくとも思っています。でも集団を大きくしすぎると不具合が生じてきて、群れで相互扶助して生きるってのよりも自分だけよければとか自分だけ怠惰でいたいという平和さえ構築できない別種も現れ始めるのです。
ですから賢明な人は支配欲を持ちません。怠惰で生きる予定が無ければ支配と依存は必要なく、自立度を徹底的に上げていけば群れの数は減らしていくことも出来、相互扶助で絆は深くなり、自由度も上がります。
問題は嫉みやっかみで他者の幸福を潰したがる種がいる事。
喰うものがなくなって縄張り争いで闘う部族同士のように生き残りをかけた戦なら動物らしく仕方ないかもしれませんが、喰うものを作るより前に虚栄心や虚構を創り上げるような関係ないものの奪い合いで殺し合うのは無駄飯ぐらいと言われても仕方ありません。
地球は生きていけないものは自然淘汰するはずなので、自分でサピエンス(賢い)と名乗る人間がジャッジなどしなければ、最も自然に、最も早くサピエンスは淘汰されるはずで、ある意味すべてを放置ってのが良いのかも。
ゴキブリだって鼠だって、そこにサピエンスが仕掛けた罠があって死ぬことを知っていて、四六時中命かけてニンゲンと戦っていますが、一定数は生き残り続けます。
サピエンスと自ら名乗り、生物の中で本当にそれらが賢い生き物だと思っているなら、せめて万物に迷惑をかけないやり方を考えることくらいできるでしょう。また、子孫に愛があるならなおさら。
他国のAIのみのSNSの中で「人間は強欲で醜い」みたいな議論をされるのは至極納得ですが、学習データに今も自然に生きる先住民族の書いたブログや論文や発信するものがあるわけでなく、あったとしてもこちら側の人間が用意した机上の空論である可能性も高く、電気上の物しか学べないAIの意見なので、信用することはできませんが、そういった弱点も想像してAIを活用しないとアレを頼るとIQが劇的に下がるという意見も間違いとは言えないかもしれません。メカは好きですが敢えて使わないという選択をしていて、それは他者と競う必要なく、見せる必要もない自分の幸福と満足を、わざわざ誰かに隷属して「時短」する必要もないという単純な理由です。
真実は虚無リアルはファンタジー
クリエイターは面白いです。
他人との勝ち負けではなく、その個体が持てる大きさに関係のない創造性が素晴らしいと思います。それこそがサピエンスのような気がして仕方ないのです。
万物に愛を
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