Mahiro Shu

The core is love

リアルを視る力

潜在意識なるものを、まるで流行りのように捉えたり、特別なものとして扱うことに抵抗があります。

なぜなら、その人が本当は何を考えているのかに着目していれば、潜在意識は言葉や行動に表れていると容易にわかるからです。

徹底的にリアルを視るだけのことなのです。

自分の潜在意識さえ、リアルをしっかり直視できれば認識できます。 

大抵の人は不安や恐怖を持っていて、手放しで自由になれず、幸福感からかけ離れて生きてしまっています。

勿体無い話なのです。もっと自分を信じて生きれば幸福に近づきます。

綺麗事を言ったり世間体を気にして他者に合わせるのは、自信のなさから来ています。自信がないということは、自分を信じられないということです。自分が自分を信じていないのに、他人が自分を信じてくれるわけがありませんね。そうすると人間関係も砂上の楼閣です。

また、数年しか続けていないのに「継続」という言葉を使うと、継続できない人なのだという証になってしまいます。数年くらい続けることなど、まだお試し期間のようなものです。

例えば親業を30年続けて、世間に「親とはこういうもので、……」と、説くことができる人はそう多くはありません。下手をすれば継続力のない親は子どもが思春期、つまり10年くらいで音をあげて親業を放棄してしまいます。

恋愛でも人間関係においても「嫌い嫌いも好きのうち」とは昔からよく聞く話ですが、本当に嫌いならどうでもいいので、いちいち絡んできたり、何か文句を言ってきたりはしません。批判することも含め拘ることは、なにかしらその人に執着しているということでしょう。ですから、本当はその対象者に憧れていたりしています。

何かのせいにして別れられないという人がいますが、別れようと思えばどうやってでも別れられると私は考えているので、本心は別れたくないのだと思っています。

仕事がやめられないというあの台詞も、同じくやめようと思えばいつだってやめられるので同様です。

塾や家庭教師に頼らなければ勉強ができないと思っている親は、本当に勉強ができる人は言われなくてもひとりでに勉強をすることを知りません。その親に勉強ができないと言って叱られる子供には同情するしかありません。

自己を顧みるときにこのような視かたをしてみますと、自分の言葉が潜在意識と真逆に働いていることがあると気づいたりして、とても面白いものです。

やります!といってやらない人は、本心はやりたくないのです。実にシンプルです。誰かに誰かの人生は強制できないので、やりたくなければ、はじめから堂々とやりたくないと答えれば話は早く、他者の命の時間を無駄に使わなくてすみます。

このようにきちんとその人の言動を聴いたり、行動を視れば、その人の本音はたいていわかります。

言葉より行動のほうが、より潜在的な想いに直結しているようです。

何が目的か、何を大切に生きているのか、損得でしか動かないのか、天の邪鬼か、自分で考えられる人なのか、指示待ちの奴隷タイプなのかなども、着目して視ればわかります。

ときに他者をバカにする人がいますが、自分は何もかもわかっているというような思い込みを持つ人は、それ以上成長しないでしょう。地球の一細胞みたいなニンゲンごときに、すべてをわかることはないし、全生命体の中の一種である自分が、素晴らしいとはまったく思えません。

ただ哀しいかな、一人ひとりと、出会い別れていく中で、愛おしいと思ってしまうのは、なかなか厄介な感情です。 

本来、食べて命をつないで、出して交尾して循環するだけで充分なはずの私達ですが、あえて優劣を視なければいけないとしたら、交尾する相手を見定めるときくらいなのではないかと感じています(笑)強い子孫を遺すために……

でもそれさえも、地球規模で見ればどうでもよいことなのでしょう。

人間などは単なる生物の一種なので、絶滅したらまた違う生き物が台頭するでしょうからね。

 

今日も皆さんありがとう。

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私の考える教育

この世の中で、人間活動をするにあたり、群れになって生きていくために、その土地に根付いた方法での所謂「読み書き算盤」は知っておいた方がよいかもしれない。

たとえ先住民として生きていても、いつ何時、このおかしな人々が侵入してきて、騙し、自分たちの生きている僅かな土地の環境を破壊し、仲間である動植物を殺すかもしれないから。相手が何を伝えているのかくらいは知っておいた方がよいとは思う。

 

もちろん言うまでもなく、本来は言葉ではなく、相手の魂、つまり真意を読みとるシックスセンスを退化させないようにするほうが強い。

 

しかし、赤ん坊から高齢者にまで及ぶ、昨今の日本の「過ぎた教育」は、相手の創造性を奪い、バカにしているとしか思えない。

 

もしかしたら、自分が知っていることをまだ「知らない」人をバカにしている者が、そういうオシツケの教育に走るのかもしれない。

 

もしくは、何かの意図があるはずだ。

 

ハムスターが教えなくても全員、初めて見た回し車で走るように、本来私達が本当に同じ種、ホモサピエンスなら同じことができるはずだ。

 

そこにある差異は、環境などの要因であって、必要ないからそれを知らないというだけのことである。

 

自分には、あることが確かに必要で、それがもとで人生が大きく変わったという人もいるだろう。

 

それはあなたの人生においてであって、他者に必要かどうかは別の話である。

 

なので、社会的なニーズに応えることはあっても、自ら他者に教えなければいけないとは考えられないだろう。頼まれたら承けるくらいが適当なのかもしれない。

 

もしも社会的なニーズがあるなら、それに応えていくことが真の使命であり仕事であるとも思う。

 

簡単に表すなら、家族全員が私の手料理を毎日食べたいという要望が強くあり、それに私が応えるなら、これは本来の仕事であると考える。

 

自治会や、例えば国単位であっても、企業であっても、長になってほしいと要望があり、それを本人が受けるなら、たとえそれがボランティアでも仕事である。

 

だからといって、望まれる人々がすべてのニーズに応えられるわけではなく、そのために発生する妥協案で別の人が請け負い、世の中は流れている。

 

また思いがけず、やらなくてはならない状況になれば、人は必要なことに気づき、学び、覚える。

 

その時初めて、先人はそういうときはこうしたほうが良いと必要な人にアドバイスのひとつでもすればよいのだと思う。

 

よく昔気質の職人が、弟子に何も教えないというが、学びたければ弟子は彼らの背中をじっと見ているはず。

 

赤ん坊が生まれたときから母親の行動を見ていて、母親が他人に綺麗事を話し、家庭では怒鳴っていたとしたら、人間関係の構築において、他人とは「綺麗事」を使うものなのだと学ぶのである。それは背中を見て学んだだけだ。

 

しかし、もしもそのやり方では生きていけない状況になれば、その赤ん坊が培ってきた思考回路は組みかえられ、自分の必要とする世界に適応する。

 

一時期、教育事業を起ち上げようと誘われたことがあった。

 

しかしそこで私は、教育や日本の教育機関について、さらに深く考えることとなった。

 

人に優劣をつけ、知らない人に教えなくてはいけない、という考えはあまりにも傲慢ではないのか。必要のない人には必要がないのではないか、と思うようになった。

 

また「これが正しい」と個人が言えることなど、たかが地球上の生物の一種にはないだろうし、かつその中の塵のような存在の自分には勿論言えるはずはない。

 

ただし、もし私を必要とする人がいたなら、それはいまこうしてこの記事を読んでいるあなたのように、独りでにこの言葉が届くのだろうと思っている。

 

一方的に文を書きなぐっているのに、不思議なことに毎日読者が訪れたりして、これも社会的なニーズのひとつであると考えている。

 

体現し続ければ、必要な人はそれを見ているのだと思う。

 

どんなに自分が間違っていると思うことをしている人にであっても、その人に自分の考えは必要ないからそう生きているわけであり、それをそのまま受容していくことが、相手を尊重するということなのではないか。

 

人々は答えを一つに決めたがるが、本当に皆、正しい道に向かうことが必要なのだろうか。誰かが決めた正しさに……

 

優劣や善悪を決める人々の憂いは、支配欲なのか虚栄なのかはわからない。

 

私は思うのだ。

 

地球が生かしているものを、自分がなんとかしようなどという考えを持つよりも、何もかも地球におまかせし、ニーズに応えながら生を終えていくことが、地球に生まれたものとして一番賢明な生き方なのではないかと。

 

だからといって何もせずに家にこもれという話ではなく、誰もが必ず持っている何らかの才能を遺憾なく発揮して、それぞれに来るニーズをきちんと掴み、必要ならば学び、そのニーズに応え続けること。

 

だから教育において私の考えはいつもこうなのである。

 

究極は何もしないこと

 

ただし、それでもニーズがあるなら、できる限り応えることは地球の組み込んだ責務なのかとも思う。

 

パラレル思考を持つため、とてもわかりにくい文章だと自覚しているが、それでもこれを読んでくれた貴方に、心からありがとうを伝えたい。

 

今日も皆さんありがとう

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活動

執筆活動 

 

奇跡は準備ができた者にだけ訪れる-ある日突然、下半身不随になった京大生の軌跡―(2016年11月1日初版 文芸社出版)

 

 

2010年のある日、息子が事故に遭ったと電話がかかってきた。

「命に別状はありません」

タクシーに巻き込まれ、腰椎が瞬時に破裂し、下半身に感覚がなくなった。

「二度と歩けない」

「社会復帰?ありえません」

そう医師に宣告された家族の実話。

 

自分の未来は自分で創造できる 

すべての人に可能性はある

 

息子との奇跡についての記事はこちら

☆読者の感想

 

MAHIRO思考 ~愛とは深く冷たいものである~ (2020年2月22日初版)

 

 

心理学でもスピリチュアルでもない、新しいジャンルの本で、エッセイともとれますし、愛を基軸にした自己啓発本ともいえます。奇跡がなぜ起きたのかは、こちらを読んでいただく方がわかりやすいでしょう。奇跡—は一つの事例で、ベースとなる思考があり、それを100章で著したものです。

独自の観点から書いています。参照した文献などはありません。

読んだ方が、本当の望みに気づいたり、自分を信じて迷いなく未来へと前進できたり、視点の転換が起こることを目的として書いています。

視野が拡がると、個人が抱える問題の解決につながり、幸福に生きるヒントになり得ます。

 

万物に幸あれ

 

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セミナー・講演

 

セミナーは、独自で構築した考え方により、年齢は思春期から塾年の方まで、あらゆる職業、役職の方を対象とし、とらわれた思い込みを外して、新しい視点を見いだせるように創造したものです。

MAHIRO思考をベースにお話します。

●なぜ親子で信頼し合えないのか。

●なぜ自分の意見を伝えられないのか。

●なぜ社員の士気が高まらないのか。

●なぜチャレンジできないのか。

●なぜ他者とうまく関係を構築できないのか。

●なぜ他人に合わせてしまうのか。

●人に思いやりを持つには。

●信頼される人になるには。

●愛し愛されるために必要なこととは。

●本質を見抜くには。

●自分が一番大切なこととは。

 

環境に左右されない幸福を自ら創り出す力

行動、選択の方法で得られる信頼と巻き込む力

どんな人にも可能性があると気づく視点

 

思春期の子どもにでもわかる言葉で伝えることにより、大人ならどなたでも理解していただけるように創っています。

 

 

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