Mahiro Shu

The core is love

子育ては一大事業

母の責任は重大であると私は子供を出産した時に思いました。

一人の人生が私にかかっている、

一大事業である

そう思いました。

母乳で三人とも育てたので、彼らの体が私から出来ていくことは実感しますし、離乳食も一から手作りするので自分の知識が彼らの身体をつくることもわかります。

 

無知は罪である 

と言った人がいます。

 

学校では教えないことがたくさんあります。

偶然、知識ある教諭と出会った人はラッキーです。

私は高校の社会の教諭から合成洗剤の危険性を訊いたので、18歳からそれらを使用するのをやめました。

人は興味をもたないと、情報をキャッチすることがなかなかできません。

親がいかに我が子の人生を左右するかに対して、興味を持ち続けることが大切です。

なんであろうと、新しいもの(つまり先住民族や古代の人々が使ってこなかったもの)に対しては、一度は疑問をもって考えてきました。

化学物質から始まり、睡眠時間、電磁波、薬剤に至るまで。

離婚したため息子たちとは別居していましたが、生まれてからずっと教えてきたことに加え、会うたびに生活習慣について考える機会をもうけました。

塾に通う必要は無く、脳と身体を最高の状態にしておけば、勉強はすんなり頭に入るのだと教えました。

中学生の頃、彼らは夜遅くまで食事をとらずに数学塾へ通っていたので、優先順位は「身体」だと説きました。

だからおかしな時間に食事をとってはいけない、せめて自分でおにぎりを作って食べてから行きなさいと。

どうしても塾に行かなければならないのであれば、勉強と遊びの量のバランスを保ちなさいとも。

私は、親の責任は子供の身体を守ることだと思っています。

加えていうなら、誰といてもどこにいても生きる力を身につけさせることでしょうか。

彼らの人生をコントロールする必要はなく、常に心身を良い状態に保っておけば、彼らなりの最高のパフォーマンスを発揮するはずなのです。

他人と比較ばかりして、我が子の身体を潰してしまっては意味がありません。彼らの努力が無駄になります。

古代のように、先人の知恵を教わる機会のない現代では核家族内での考えだけで、子育てが行われていき、親が不安であるがゆえにテレビや世間の風潮に流されていってしまいます。

でも指標は簡単です。

 

ニンゲンは動物なのだ

 

ということを常に頭に置いておけばいいだけのことなのです。

私達は夜行性ではないので、基本的には太陽が昇ったら活動し、沈んだら眠ることが望ましいでしょう。

添加物はニンゲンの食べるものではないし、アスファルトに塗り固めた土地よりも、土の上にいる方がいいということなども。

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元来なかった電子機器は、ニンゲンにもしかしたら悪影響を及ぼすかも知れないという疑問。

明日食べ物があるとわかっているのに、食べ過ぎることへの懸念。

もちろん、現代ではこれらを排除することは、地球のどこにいっても容易ではないかもしれません。

ただ、できるだけ想像力をもって、きちんと考えながら適度に生活することで、専門的に勉強しなくても我が子を守ることも、家族を守ることもできると思うのです。

ただし完全主義にならなくてよいと私は思います。

未来に生きる子供たちを大切にしていきたいと思うのは、多分誰しも同じではないかと思うのです。

できるだけ自分の体を守り、家族の体を守ることで、各々が自由に選択することができれば、幸福に繋がる気がします。

 

今日も皆さんありがとう。

 

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私の考える教育

この世の中で、人間活動をするにあたり、群れになって生きていくために、その土地に根付いた方法での所謂「読み書き算盤」は知っておいた方がよいかもしれない。

たとえ先住民として生きていても、いつ何時、このおかしな人々が侵入してきて、騙し、自分たちの生きている僅かな土地の環境を破壊し、仲間である動植物を殺すかもしれないから。相手が何を伝えているのかくらいは知っておいた方がよいとは思う。

 

もちろん言うまでもなく、本来は言葉ではなく、相手の魂、つまり真意を読みとるシックスセンスを退化させないようにするほうが強い。

 

しかし、赤ん坊から高齢者にまで及ぶ、昨今の日本の「過ぎた教育」は、相手の創造性を奪い、バカにしているとしか思えない。

 

もしかしたら、自分が知っていることをまだ「知らない」人をバカにしている者が、そういうオシツケの教育に走るのかもしれない。

 

もしくは、何かの意図があるはずだ。

 

ハムスターが教えなくても全員、初めて見た回し車で走るように、本来私達が本当に同じ種、ホモサピエンスなら同じことができるはずだ。

 

そこにある差異は、環境などの要因であって、必要ないからそれを知らないというだけのことである。

 

自分には、あることが確かに必要で、それがもとで人生が大きく変わったという人もいるだろう。

 

それはあなたの人生においてであって、他者に必要かどうかは別の話である。

 

なので、社会的なニーズに応えることはあっても、自ら他者に教えなければいけないとは考えられないだろう。頼まれたら承けるくらいが適当なのかもしれない。

 

もしも社会的なニーズがあるなら、それに応えていくことが真の使命であり仕事であるとも思う。

 

簡単に表すなら、家族全員が私の手料理を毎日食べたいという要望が強くあり、それに私が応えるなら、これは本来の仕事であると考える。

 

自治会や、例えば国単位であっても、企業であっても、長になってほしいと要望があり、それを本人が受けるなら、たとえそれがボランティアでも仕事である。

 

だからといって、望まれる人々がすべてのニーズに応えられるわけではなく、そのために発生する妥協案で別の人が請け負い、世の中は流れている。

 

また思いがけず、やらなくてはならない状況になれば、人は必要なことに気づき、学び、覚える。

 

その時初めて、先人はそういうときはこうしたほうが良いと必要な人にアドバイスのひとつでもすればよいのだと思う。

 

よく昔気質の職人が、弟子に何も教えないというが、学びたければ弟子は彼らの背中をじっと見ているはず。

 

赤ん坊が生まれたときから母親の行動を見ていて、母親が他人に綺麗事を話し、家庭では怒鳴っていたとしたら、人間関係の構築において、他人とは「綺麗事」を使うものなのだと学ぶのである。それは背中を見て学んだだけだ。

 

しかし、もしもそのやり方では生きていけない状況になれば、その赤ん坊が培ってきた思考回路は組みかえられ、自分の必要とする世界に適応する。

 

一時期、教育事業を起ち上げようと誘われたことがあった。

 

しかしそこで私は、教育や日本の教育機関について、さらに深く考えることとなった。

 

人に優劣をつけ、知らない人に教えなくてはいけない、という考えはあまりにも傲慢ではないのか。必要のない人には必要がないのではないか、と思うようになった。

 

また「これが正しい」と個人が言えることなど、たかが地球上の生物の一種にはないだろうし、かつその中の塵のような存在の自分には勿論言えるはずはない。

 

ただし、もし私を必要とする人がいたなら、それはいまこうしてこの記事を読んでいるあなたのように、独りでにこの言葉が届くのだろうと思っている。

 

一方的に文を書きなぐっているのに、不思議なことに毎日読者が訪れたりして、これも社会的なニーズのひとつであると考えている。

 

体現し続ければ、必要な人はそれを見ているのだと思う。

 

どんなに自分が間違っていると思うことをしている人にであっても、その人に自分の考えは必要ないからそう生きているわけであり、それをそのまま受容していくことが、相手を尊重するということなのではないか。

 

人々は答えを一つに決めたがるが、本当に皆、正しい道に向かうことが必要なのだろうか。誰かが決めた正しさに……

 

優劣や善悪を決める人々の憂いは、支配欲なのか虚栄なのかはわからない。

 

私は思うのだ。

 

地球が生かしているものを、自分がなんとかしようなどという考えを持つよりも、何もかも地球におまかせし、ニーズに応えながら生を終えていくことが、地球に生まれたものとして一番賢明な生き方なのではないかと。

 

だからといって何もせずに家にこもれという話ではなく、誰もが必ず持っている何らかの才能を遺憾なく発揮して、それぞれに来るニーズをきちんと掴み、必要ならば学び、そのニーズに応え続けること。

 

だから教育において私の考えはいつもこうなのである。

 

究極は何もしないこと

 

ただし、それでもニーズがあるなら、できる限り応えることは地球の組み込んだ責務なのかとも思う。

 

パラレル思考を持つため、とてもわかりにくい文章だと自覚しているが、それでもこれを読んでくれた貴方に、心からありがとうを伝えたい。

 

今日も皆さんありがとう

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活動

執筆活動

 

 

 

 
奇跡は準備ができた者にだけ訪れる ある日突然、下半身不随になった京大生の軌跡

 

2010年のある日、息子が事故に遭ったと電話がかかってきた。

「命に別状はありません」

タクシーに巻き込まれ、腰椎が瞬時に破裂し、下半身に感覚がなくなった。

「二度と歩けない」

「社会復帰?ありえません」

そう医師に宣告された家族の実話。

 

本人編として、息子の視点で書かれた軌跡も巻末についています。

 

自分の未来は自分で創造できる

すべての人に可能性はある

 

息子との奇跡についての記事はこちら

☆読者の感想

 

 

セミナー・講演

 

セミナーは、独自で構築した考え方により、年齢は思春期から塾年の方まで、あらゆる職業、役職の方を対象とし、とらわれた思い込みを外して、新しい視点を見いだせるように創造したものです。

MAHIRO思考

をベースにお話します。

●なぜ親子で信頼し合えないのか。

●なぜ自分の意見を伝えられないのか。

●なぜ社員の士気が高まらないのか。

●なぜチャレンジできないのか。

●なぜ他者とうまく関係を構築できないのか。

●なぜ他人に合わせてしまうのか。

●ジェネレーションギャップを埋めるには。

●人に思いやりを持つには。

●就活する前に自覚すべきこととは。

●信頼される人になるには。

●愛し愛されるために必要なこととは。

●離婚した後の関係構築のヒント。

●本質を見抜くには。

●自分が一番大切なこととは。

など。スキルではなく主に心の気付きを得ていただくためにお話しています。

 

環境に左右されない幸福を自ら創り出す力

行動、選択の方法で得られる信頼と巻き込む力

どんな人にも可能性があると気づく視点

 

これらの力は生きる力に直結し、自立する心を育てます。自立した心は相互扶助の基礎となるもので、家族や組織、団体の団結力を促します。

 

思春期の子どもにでもわかる言葉で伝えることにより、大人ならどなたでも理解していただけるようなセミナーを創るよう努めています。

 

 

☆講演セミナーについて

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