思い出にさようなら

今までで一番永く暮らした処でした。

実家にいた学生の頃から「将来あそこに住むのだ」と決めていた場所で、土地が好きだったのでなかなか離れられずにいました。

物心ついた時から、自分がひと処に定住できる自信がありませんでした。

だから、一人目の旦那が家を買うと言ってもノー。二人目の旦那の実家が援助するから家を買えば?と言ってもノー。

もしかしたら、別れることも潜在的に決めていたのかもしれません。

都心にあって昼下がりはとても静かで、南向きなので照明も日中は必要としません。

ベランダでハーブやバラを育てていたので、自分の住まいだけは緑があって、虫や鳥のいる場所を作ることもできました。とても、小さな緑の一角でしたが……。

息子たちが初めて此処で娘に対面した日を思い出します。彼らにとっての実家がもう失くなることには申し訳なく思います。

2010年に初めて訪れたときからフィジーに惹かれ、夫も移住を考えてくれましたが、5年間も他のことをしている間に両親は介護が必要な状態になってしまいました。

まだまだ二人で頑張ってくれていますが、いずれどちらも動けなくなってくるでしょう。

日本のシステムの中で生きようと思えば、皆、似たりよったりの最期を迎えることだと思います。平均寿命だけ高くても寝たきりや介護を必要とする状態は10年前後はあると云われます。

自分はそのような道をとるつもりはありませんが、両親は普通に医療を信じて、年齢と共に一般的な老化による不自由な状態になってきています。

いま両親を置いて異国に行けば、いずれ後悔するでしょう。

今日死んでもいいように生きると決めている私にとって、後悔は最大の毒です。

輪廻転生など死んでもしたくないので、両親をきちんと看取ってから、異国への道を考えることにしました。

万が一私のほうが両親よりも先に逝くような状態になれば、その時は這ってでもフィジーに行って死にますが、そうでない限りは日本に留まります。

徒歩で百貨店やコンビニ、スーパー、自然食料品店まで行けるような便利な都心に暮らしていましたが、動植物との共生に肩身の狭い思いをしながら生活を続けるのかと自分に問うたとき、既に自分の価値観がここに住む人々とは合わないのだということには、かなり前から気づいていました。

八ヶ岳の原村、那智勝浦の山奥、四国の上勝町、淡路島、綾部などなど、今年初めからいろいろ見てきたり、調べたりしていました。

それでも結局、高校生の頃から幾度となく訪れた古の都が頭から離れることはなく、妥協できなかったんですね。夫や娘の仕事、実家への距離なども考えると、かなり負担はかけますが、通えない場所ではない……

ある朝思い立って、起きるなり夫に言いました。役場に行ってみようと。夫はこういうことは前もって内覧日を決めて……手続きをふんで……と言いましたが

「いきなり行って、なにか決まるような期待なんて勿論してない。縁があれば出会いがあるしなければそれでいいの。そのときは観光だけして帰ってこよう」

と私は答えました。

役場について、此処に住みたいことを伝え、状況を訊ねました。なかなか住居に空きがないのは景観を守るための厳しい古都保存法があったからだとはじめて知りました。

然しながら出会いはいつも素晴らしく、念願かなってその日中に住居が見つかりました。役場の方が繋いで下さったその一軒をとても気に入ったのです。

フィジーに移住したかった私が、日本で納得できる場所を見つけたということです。

一歩外に出れば、一切のストレスがない景観。

数千年の時をこえて、この土地や美しい原風景を守ってくださった方々に深く感謝いたします。

本格的にこの土地での暮らしがスタートしましたら、歴史から学びなおしつつ、美しき村についてもまた定期的に書いていきたいと思っております。

 

取り急ぎご報告まで

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です