今日の朝ごはんは
ミーコー
ヨーグルト
うちの苺のジャム
ナッツとドライフルーツのライ麦パン(サワードゥから自家製)
オートミールやナッツ、ドライフルーツのバナナバー(適当な配合)
烏骨鶏卵
うちの胡瓜
うちのオクラ
うちのトマト
うちの大葉
らっきょうの甘酢漬け
台湾パイン
無農薬西瓜
デラウエア
うちの洗濯物は川向からでも見える高い場所に干してあり、私が家の中で着るカンガがひらひらと風に舞って夏らしい光景を呈しています。
これ、2017年にアフリカに滞在したとき、乳しぼりをさせてもらった家の朝の風景です。
早朝から薪で家の前の竈らしき場所でこの蓋で仰ぎながら火をおこし、チャイを作っています。
おばあちゃんが、牛小屋で搾ってきたミルクで、私たちはそこの牛乳を配達してもらって(配達はこの子の弟です)毎日飲んでました。
おかしな処理はしていないし、牛が食べてるのは草だし、だから牛のふんも臭くないし、母牛は当然きちんと子牛に乳をやり、その残りを売っているのです。
この子が来ているのはカンガで、私も夏はよくカンガを着ます。
家のあちこちに移動するので汗だくになって着替えることも多く、アフリカのカンガとフィジーで買った同様の布は重宝するのです。
こうやって一枚を体に巻き付け、パジャマにしたり部屋着にしたりしています。
同居人はそれで外に出るなと言いますが(笑)基本うちの庭仕事や洗濯物を干す場所は誰も入ってこない造りになっていて、アフリカのカンガは人々の衣類でもあるので「あんた、馬鹿にしてんの?」って言いそうになります(笑)
日本人の感覚ではこのような格好はおかしいのかもしれませんが、夏にはめちゃくちゃ楽ですよ。
ですが、日本人には受けいれにくいはっきりした原色と、馴染みのない柄やろうけつ染め、FIJIのあの青い国旗などを毎日干しているため、やっぱり近所の人に言われたのです。
「なんかの宗教か?」
よく云われましたね~大阪にいた頃。
大学生がネットワークビジネスのように口コミでうちに集まってきて、一人に夕食を出せば次から次に(笑)
毎晩10人前程度の食事を提供して、彼らが言う親との価値観の違いや将来の方向性について傾聴し、議論を重ねていたころです。
今のように広い敷地でもなく、4LDKのマンションだったため、家族が就寝時間になっても帰らぬ彼らに家族も長い間我慢してくれました。
その子たちが帰宅して母親に嬉しそうに私の話をすると決まって「それは宗教か何かよ。あんたを騙そうとしてるから行っちゃいけない!」
彼らは素直にそれを私に言いに来ます(笑)それでも私のところにまたやってくるんですけどね。
ですが親ならその前に「毎晩食事までいただきありがとうございます」ではないですかね。
私はそうやって育ったし、自分の子供が他人に何かを聞いてもらい、そのご家族に食事をいただき、厚かましくも泊まらせてもらったなら、御礼をいうのが当たり前で、騙されているとは決して思いませんからね(笑)
そんな親御さんはいませんでした。京大はじめ高学歴と言われる上位の大学のお子たちです。真摯な教職員の方々の憂いをふと思いました。
騙されてるという価値観、つまり人が人を騙すのだということを根底に持っている人は、その人が何らかの嘘をついていて他者を騙している人だからです。だからすぐに騙されたという言葉を使うのです。責任転嫁が根底にあることも否めません。
正直な両親の背中を見て育ち、自分も嘘をつかずに生きていれば、ネットワークビジネスでも投資でも、宗教でも騙されるとは思わず、考えなくてはいけないのはそのお話を辿っていく先に見える金の流れだけです。
それがおかしな場合、初歩的な詐欺だと気づくかどうかという自分の問題で、騙されていると言うならある意味ビジネスは全て詐欺です。
金の流れを追うときに、自分が命の時間を使って交換した紙切れをその人に渡していいのかどうか、という判断だけで支払うか否かを決めればいいのです。結果、TOPが飛んでいなくなることもありますが、仕方ありません。ネットで何かを買って、「届いたら使えなかった」みたいなもんです。
命の時間を使って仕事という名のもとに働くなら、その経営者やもしくはそのご家族を裕福かつ怠惰にするために隷属して協力できるのか、という判断も必要になるでしょう。
殿に仕える家来のように、殿のビジョンが世界を変える崇高なものだからついて行くということもあるかもしれません。
また、自分の学びたいことややりたいこと自分では創れないので作っている殿の組織に所属するなんてこともあるでしょう。
騙されるというなら、綺麗事文化を持つ民族性=嘘つきがスタンダードということなので、まずはその国で自分が嘘をやめることから始めないといけませんね。
どこぞやのスマイルも、一歩店を出れば知らん顔して通り過ぎる偽物だったりしますしね。
組織と言うものはTOPのお話づくりにかかっています。
人間が創るファンタジーのうまさが、組織を動かす力になっていくのです。
それをビジョンと呼んだり、コントロールと呼んだりします。
人間以外の他生物は地球に添って生きているように見えます。
大地を掘って食べるものでない何かを掘り出しお金に換え、海洋生物を殺しながら海中で何百回も実験をし、試さなくては安全かどうかも分からない危険なものを作るために毎日動物たちを実験と称して殺戮し、なんとも酷い動物でありながら綺麗な事を話しても無意味に思えて仕方ありません。
世界は個人個人の生き方を変えることで変わります。全員が最低限自分の家族と隣人一人と助け合えたら世界は瞬時に平和になります。
万物に幸あれ
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