断食8日目
自分は喰わないのにお子達のために漬物も作りました(笑)
二人の朝ごはんは
炊き立て土鍋ごはん
娘が作った味噌汁
(うちの菊芋。隣人の椎茸など6種程度)
隣人の水菜と薄揚げの煮びたし
もずく酢
漬物盛り合わせ
(壬生菜の浅漬・日の菜の浅漬・うちの茄子の柴漬・柚子大根)
緑茶

月曜日の娘の仕事がなくなったので、朝が少し平常になりました。
かわって、いつもはなかった同居人のお弁当作りをしていました。
娘が作ったお弁当

油淋鶏丼
茄子・貝割れ・レタス・土鍋ごはん
たれから作っています。
今日は肉オンリーですね。
私は水分のみ。お茶とか、アサイージュースとか、自家製レモネードなどで過ごしています。
最近外食が多いので(父の見舞いや本意でない呼び出しなど)断食しているので食べるものがありません。スープを置いている店ならいいのですが、昨日はなかったので赤だし(笑)
とても寒い日は、うちの味噌汁のスープだけとか、早朝に烏骨鶏卵を一個。
烏骨鶏卵は完全栄養食品といわれる卵の中でも相当な栄養価なので、あの小さな卵一個でビタミンC以外が摂れます。それにレモネードを加えたら、上出来でしょう。
非常時、我が家で断食可能なのは私だけ。他の人は皆餓死でしょうか?(笑)
15歳から自分で食べていたと言ってますが、ほぼ一日一食、夜のみでした。それが19歳ごろまで続きました。
その後20代は夕食は煮物のおかず一鉢って日が多く、子供たちには普通に食べさせていましたが、生涯通して小食です。
食べ「過ぎる」ことが子供の頃から好きではないので、一時期流行った「食べ放題」は命に対する冒涜に見えて大嫌いでした。友人に誘われて行くも、大抵私はサラダばかり食べて、ケーキのコーナーも好きなものを少しだけ。
いつも元をとれません(笑)
食べすぎる人を視るのも好きではありません。
シーザーの「お前に生きる価値はあるのか」を生涯自分に問い続けているので、何も考えずに欲するままに胃袋に入れていく動物たちをみているとホッとします。ただ彼らは「過ぎる」ことは決してなく、必要量を食べると目の前にあっても食べるのをやめます。
サピエンスにおいては「過ぎる」人を大勢視ます。
命をいただくなら自分の体の中できっちりと昇天させなくてはならないというのが小学生時に考えたことで、それ以来ずっとそれを頭の片隅に置いてきましたが、ネットが無くても学校の義務教育とテレビなどで得た知識の種が好奇心で拡大していくほどに、さらに強くなり、そうでない種と同化したくないというところまで来てしまいました。
敬意は愛である ~MAHIRO~
愛する対象には何かしら尊敬すべきとろがあります。もし自分が馬鹿にされているならその人には愛されていないということです。ただ、自分と同化する種ではないだけという可能性も高く、同類の世界で住めば愛し合える人がいるでしょう。
世界観は個人の自由です。
自分の出す周波数という数値に合う人間が自分に寄ってきます。そこに血族や婚姻という書類で枷をかけると、苦しい人もいるのかもしれません。その自由でない苦しみはまた、外に向かって発散され、トラブルを産みます。
だから、すべての個人が自由でありますよう。
天国が幸せな方は天国に、地獄が幸せな方は地獄に棲みましょう。
誰も誰かの自由を奪ったり強制する権利は地球にはないでしょう。
万物に愛を
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