一つの事象で多くの目的を達成するのが天才的な思考だ。迷路は、迷うよりも創るほうが面白い。
死ぬまで迷って右往左往するのは笑えない。
コニーサンは迷路が好きだった。
ココも子供たちも迷路が好きだった。
生まれたての13匹の子供たちもすぐに迷路の道を覚えた。
皆賢い。
大きな迷路になればなるほど複雑だが、創っているのは所詮自分と同じニンゲンだ。
出口は一つじゃないかもしれない。
行き止まりにはそれぞれ多くの宝箱、またはポイズンもあるかもしれない。
アカシックレコードさながらその叡智をできるだけ独りで探してつかみ取り、自分のスキルにしていく。
そうしたら
「ここはこういう風にアレンジしたほうが使い勝手がいいな」
なんて自分も迷路が創れるようになるかもしれない。
いやはや忍耐は要るし、頭はフル回転、時間もエネルギーも半端じゃないが、続けていればいずれ形になってくる。
生きてさえいれば。
真実は虚無 リアルはファンタジー
これは、誰かが創造するような、煌く幸福の中に見つけたものではない。
一度、奈落の底に堕ちてみることだ。
そこで瞬時に這い上がれるか、そのまま闇の中で死ぬか。
後者は終わる。
前者はものすごい力がつく(笑)
ゆっくり這い上がれば人生の大半が闇で終わる。
だからできるだけ速く。
何度も堕ちて何度も這い上がる、できるだけ速く。
ものすごい跳躍力がつくのだ(笑)
世界は無限大。
視野が広い方が謙虚になれる。
いかに自分がちっぽけか、大したことがないか。
地球の埃のような存在だと自覚できる。
でも私にも嫌いな輩はいる。
自分の脳裏に存在があることすら汚らわしい。
だけど埃のような自分が、他生物一個体の存在を否定することはできない。
地球上にわいてきたということは、土の微生物のように何かしら働きがあるのだろう。
だから憎しみや恨みにはならない。脳裏から存在を消すだけ。
つまり嫌いな奴にエネルギーを使わないのだ。無駄だから。
もし生まれたものは死ぬということが事実なら、種によって存続する期間の差異はあれど、いずれヒトは絶滅する。
今日かもしれないし、10000年後かもしれない。
個人の寿命と同じ。それを考えても仕方ない。
暇つぶしのようなものだ。
できることといえば、悔いなきように今日を生きるということくらいだ。
私たちの前提条件は『不死身』ではない。
ウイルスでしか死なないのなら世界的に排除するのは賢い。
息子が車に巻き込まれ下半身不随になったので、私なら車を世界から排除してほしいと言わなければいけないのだろう(笑)
当たれば死ぬ確率は高い。
運転手がみな人格者でもない。
EVに買い替えたらいまの車の『ゴミ』はどうするのか?
はたしてそれが地球に良い事か?
便利だとプラスティック製品を打ち出すことはよくて、レジ袋は削減?
子供の玩具の大半はプラスティックだ。
娘の育児については、飲食店でもらうおまけはプラスティックゴミになるからと言って断っていた。
ペットボトルの再生に力をいれるよりも、昔みたく瓶の使いまわしにすればよい。
お茶は自分で作ればよい。
長く持つ水筒を使えばよい。
電気需要が高まっているなら、一定時間電気を止めればいい。必要な緊急事態の現場以外は。
途上国では停電はしょっちゅうだし、電気ガス水道のない村もある。
肥らなければ服を毎年買い替える必要はない。
喰いすぎをやめることだ。
「時短だ」「便利だ」と怠惰にならなければ、脳の思考回路は簡単に退化しない。
めいいっぱい動いて生きて死ぬのが動物の使命ではないかと、アフリカの村で過ごした時に感じた。
彼らは瞳がキラキラしているから。
システムに依存しなくても自分で何とか出来ることもある。
そのかわり変なものが混じらない純粋な雨が必要だし、地球は皆のものだということを思い出さなければいけない。
空いている場所はたくさんある。
好きなところへ行けばよい。
最悪、マサイのように牛糞で家を造ればよい。
(縄張り争いでまた殺し合いが勃発するのだろうけど)
誰かが創った新しい何かに依存して、それを手に入れて胸をはった分だけ、脳の神経細胞が一つなくなる気がした。
それでも車にも乗ったし、飛行機で海外に、新幹線で東京にも行った。
かなり馬鹿になってしまった。
せめて衣食住くらいは自分で何とかしたいが、都会に生きてきた自分のスキルはまだまだ甘い。
退化した脳の神経回路はそう簡単に再生されない。
大多数はデジタルに流れていこうとしているが、私はさらにアナログ的スキルを身につけたい。
これ以上馬鹿になったら、サピエンス(=賢い)なんて名乗ってはいけない動物になってしまうから。
いったいいつまでサピエンスと名乗れるのだろうな、ニンゲン・・・・・・
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