随筆 119

朝はマサラチャイかカルダモン珈琲を飲む。

まだ暗いうちに、独り台所に立ち、アフリカで買った木製のすり鉢にカルダモンを一粒容れる。

私はそのカルダモンの実に「ありがとう」と声をかけながら潰している。

たった一つのあの小さな実が、私の身体の中で大きな働きをしてくれるのだと思うと、その恵みに感謝せずにはいられない。

もちろん遠く海を渡ってきた、珈琲豆やアッサム茶を栽培して分けてくれた人々にも。

朝、食べた無農薬の柑橘類の皮を捨てずにとっておく。

夜、浴槽にお湯をはり、柑橘類の皮を浮かべる。

果皮をぎゅっと搾れば、アロマオイルと同じ効果が見込める。

香りに包まれながら温かいお湯にゆったりとつかるとき、日本の豊富な水とこの村の柑橘類の恵みに、やっぱり「ありがとう」なのだ。

 

アフリカでは日格差が大きいため、日中の暑さとはうってかわって夜は寒かった。標高の高いところに居たからかもしれない。

夜は、お湯を沸かして震えながら身体を拭いた。

そのバケツ一杯のお湯がとてもありがたかったのを思い出す。

 

私は幼少の頃から変な子で、途上国など巡るずっと前から、基準が「原始人」だった(笑)

だから在り来たりの道具でも、なんでもありがたいと想えた。

欲しいものもあまりなかった。

雨風をしのげて食べるものがあって着るものにも困らない。十分すぎるほどに恵まれている。

それに困ったことがあっても、頭を使えば誰かと助け合うことだってできる。

誰かが生きるために食べ物を作ってくれているから自分はこうして買えばいいだけなんだと思った。

途上国の人が嗜好品を栽培してくれているから、余分なチョコレートやコーヒーを口にすることができるのだと思っていた。

 

毎日、畑の傍らに生えている数種の雑草を摘んでくる。

シェリーは人間がつくった野菜ではなく、雑草を好んで食べる。

放っておけば誰かにゴミのように刈られてしまう草だけど、私たちにとってはとてもありがたい植物だ。

そして食べたあとのシェリーの糞尿や、私たちの出した生ごみは堆肥になり土に還る。

循環はすばらしい。

 

日々、多くの生命と共に生きていることや、小さな種ひとつが自分に大きなパワーをくれることに感動せずにはいられない。

どこからかやってくるミツバチ。

春に大きな花を咲かせるバラ。

 

なにもかもが不思議で、完璧な地球のシステム。

多分、地球に『ニンゲンの作る物』は要らないのだと思う。

いや、もうニンゲンが要らないのかな。

 

 

 

 

 

 

 

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