随筆 52

大事な人は、失って始めてわかるという人が多い。

それをアホと呼ぶけど。私は。

たとえ80年生きても、本気で愛せる人なんて一人会えたらラッキーで。ほとんどの人は一人も会えないはず。
ましてや、お互いに愛し合うとなったら、それは奇跡的なことで、大抵の人はそれを経験できずに死ぬ。

ある人に送った言葉。

大切な人が目の前にいても、それをとても奇跡的なことだと感謝して愛せる人はそんなに多くない。でもたとえ、感謝して愛していたとしても、必ずどちらかは先に逝く。

4ヶ月前に逝ったコニーサンを忘れることができない。

彼と私の間の心の会話は、多分私達にしかわからなくて、せめて、私の大好きなレダの中にと、コニーサンを土の中に埋めた。

マンションの構造が古くて、階下にベランダの水が流れる。台風の後などは大量に土が混じった水が流れてしまう。

汚いから処分してくれと管理会社からクレームが来た。

彼らにとって、植物は「処分」できる、命のないものなのだろう。私にとってバラたちは、共に生きていた生命である。

レダは8年一緒に生きてきた。ココトゥンもウータンもレダに埋めた。そして、その花は私の化粧水となり入浴剤となり、私の身体のなかの細胞に変わる。

ココトゥン

ウータン

コニーサンはまだ花になっていない。それを処分することは、どうしてもできない。引っ越すしかないと思う。

娘の高校の問題があって、今すぐは難しい。ニンゲンに文句を言われない、土のある、動植物とも暮らせる場所に行きたい。

コニーサンの話をある人にしていて、涙が止まらなくなった。コニーサンには動物とニンゲンが対等であることを理解させてもらった。たくさんの知を与えてもらった。

たった2年しか一緒に生きられなかったけど、私は彼のことを生涯忘れないと思う。

とても小さな小さな身体だったけど、私にとってはニンゲンよりも大きな存在だった。

ニンゲンのように批判したり、あら探しをしたり支配しようとはせず、徹底的に自立していて、純粋で、真っ直ぐに生きていた。

そして死ぬその瞬間まで強く、優しかった。

出会えたことに感謝している。

本当に幸せな2年だった。

いま遺る彼の子どもたち5匹の中に、彼は生きている。

もうすぐ2歳になる彼らとも悔いなきように過ごしたい。

 

真実は虚無でリアルはファンタジーのはずなのに、コニーサンは逝ってしまった。

ファンタジーを創るにも、命あってのことなのだろう。

虚無だとわかっていても悲しみはある。

虚無だとわかっていても美しい場所に生きたい。

虚無だとわかっていても美しい人と愛し合いたい。

だから、形にとらわれず、ニンゲンに洗脳されずに、自分を生きていきたい。

今日もここに辿り着いた皆さんにありがとうを伝えます。

 

 

 

 

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