シェリー

我が愛しのシェリー

2022年1月13日20時 永眠—

今冬は寒さもきつく、冬眠しかかっているのか、弱ってきたのかよくわからない状態だった。

部屋を暖めてもあまり変わらず、12月からは徹夜でシェリーを看ることが多くなった。

今までの冬と違って、散歩にも行きたがらない。

日向ぼっこをさせるため、暖かい日には、寝床ごと抱えて庭に出たり、山を見に行ったりした。

 

思えば夏前から動悸が酷く、獣医のところへつれていくも、異常なしとのことだったけど、

あれは確かに何かの兆しだったのだと思う。

 

この虚構だらけの世界で、唯一透明で真っすぐな美しい魂を持ったシェリーとの時間が、私の希望であり幸福だった。

 

10月末、娘が飼ったうさぎのロッピーと、アビシニアンモルモットのパディが我が家にやって来た。

シェリーはストレスからか、赤ちゃん返りをして、餌のうえにおしっこやウンチをする日が続いた。

散歩に行く前には、必ずトイレに行ってから散歩用ケージに入るほど、賢いシェリーが。

シェリーの必死の抵抗だったのだろう。

 

部屋で遊んでいる時も、パディのケージの前を通るくせに、最期までそこに存在がないかのごとく、完全無視していた(笑)

パディが覗いていても、シェリーはチラ見すらしなかった。

最期の一か月ほどは、家事をしたり食事をするときケージに戻すと、抱っこしてほしそうに寝床から私を見つめた。

ハムスターをたくさん看取ってきたから、なんとなく感じる。皆同じなのだ。

コロンの最期のように、出来るだけケージから出してシェリーと過ごした。

夜も布団で一緒に寝た。

 

シェリーは私が初めて「買った」仔だ。

生物として、対等な魂に値段をつけることが許せなくて、幼少期からペット業界にはできるだけ荷担したくないと思っていた。

動物園も嫌いだし、水族館も嫌い。サーカスなんてもってのほかで喜んで行く人の気が知れなかった。

でも、リンが死んだあと、コロンの餌を買いに行ったときに入店したてのシェリーと出会った。

何故かシェリーが30分近くも私を見つめるので動けなかった。

 

その日からコロンの餌を買いにショップに行くたびにシェリーに声をかけてた。

「幸せになるのよ、いい人に引き取られるのよ」って。

 

10月から娘の看病で夜中に起きていることが多く、慢性的な睡眠不足が続いている。

ところが、昨夜に限って早くに寝てしまった。

私が寝た後、最近できなかった回し車にいきなり乗って、シェリーが走り出したらしい。

シェリーにとってなにより大事な回し車。

掃除のときも回し車をケージから出すと、「返して、返して」って毎回手を伸ばして訴えてた。

走りたくて走りたくて仕方なかったんだろう。

最期の力をふりしぼって走っていたんだろう。

 

先ほど、蕎麦の実を食べて、私のそばからトイレに走っていったのに。

いきなり息が上がり、すぐに抱き上げたものの数分で心臓が止まった。

心臓マッサージをしたが動かない。

水も飲ませたが口からこぼれた。

 

シェリーと観た山の風景は一生忘れない。

あの時間が一番幸せだった。

明日香の思い出はシェリーと過ごした幸福な時間だ。

 

シェリーがいなくなって、もうここにいる理由がなくなったように感じてしまう。

常々「だれか」と一緒に生きていたいと思わない私にとって、虚構のない純粋な魂である賢い彼らと過ごす人生は、より大切なものになっていることに気づく。

ココとコニーサンとの出会いは、人生を大きく変え、誰よりも大きな知恵を私に与えた。

 

今後ももし生きて逝くなら、純粋な魂との共存が自分の幸福にとって最優先課題になりそうだ。

記憶に遺る彼らと過ごした時間を、煌く思い出として自分の中に刻む。

畑の土も、庭のバラも、鳥たちも、毎日出会う昆虫たちまで、透明な魂は私の天国の住人だ。

真実は虚無 リアルはファンタジー

 

世界は自分が創っている。

死んだ後の永遠の魂が住む世界も、自分自身で創っていかなくてはならない。

コニーサンやシェリーはじめ、私が共にいたいと想う魂は、多分今も、私が死んだ後もずっと傍らにいるのだと思う。

ファンタジーはそこまで描いておくことが必要なのだ。

 

 

BYE FOR NOW,SHERRY.

 

 

 

 

 

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