子どもの頃からどこかに定住したくなくて、結婚しても絶対に家は買わないと決めていました。
多分潜在的に、一生その男と生きるつもりがなかったのでしょうね(笑)
結婚生活は、なぜか私が借りたマンションに旦那が転がり込んでくるばかりで、彼らは身一つで生活できる状態。
その後の生活費くらいはいただきましたが、おかげで旦那に依存したりお伺いを立てるような生活は送ったことがありません。
有難いことに「家を買おう」と何度も言ってくれた義父母もおりましたが、丁重にお断りしました。
万一離婚する時には色々面倒ですから(笑)
何処に住むかも基本的に私が決めて引っ越すというスタイル。
婚姻相手が嫌なら去ればいいし、ついてきたいなら最低限の男の仕事くらいはしてくださいという条件。
でもいよいよ日本に疲れてきて途上国に行きたくなり、いきなり思い立って現地にメールを送ったこともあります。
それが初海外。
パスポートを取得し翌月には飛行機に乗っていました。
1ヶ月の短期留学ですが、目的は住めるかどうかの確認でした。
中学の頃から行きたいと思っていた国で、人々もキラキラしていて美しい場所。
永住したいと思っても法律その他で簡単ではなく、いろいろ調べて仕事を創るのが最善だと考えました。
3度目の結婚は、彼がその国で仕事をしようと言ったので決めたのです。
ですが、約束は果たされませんでした。
それなら現地の人と結婚すればよかった(笑)
その後2度滞在した、アフリカの電気ガス水道のない暮らしも魅力的でした。
誰にも指図されずに自分たちで『喰うために働く』スタイル。
彼らが当たり前だと思っているその生活は、有機栽培の食物、生みたての卵、お皿いっぱいのフルーツ。
高級ホテルよりも豊かなものでした。
すわる暇さえなさそうな女性たちの仕事に、都会で多少努力していても気休めにしかならない自分のレベルに嫌気がさしました。
そして先ずは田舎に移住することにしました。
2年間探し回った挙句、高校生の頃から住んでみたかった村に決めました。
美しい村です。
初めての畑仕事、耕作放棄地の土づくり、
4年目は同居人も参入しましたが、それまでは独りで相当な広さを管理していたので大変でした。
機械を一切使わない主義の私は、川からの水汲み15往復はなかなか過酷(笑)
アフリカのエスタママのことを思い浮かべながら、これでもまだ楽な方だと自分に言い聞かせていました。
たった4年しかいなかったのに、村の方々との別れは後ろ髪を引かれる思いでした。
思いがけず近所の方々から餞別をたくさんいただき、引越しの日は皆外に出てこられ、
「引越しなんかしなくていい」
と言われ、申し訳ない想いでいっぱいになりました。
本当に誰一人、リンジーたちの鳴き声に一切なにも言わなかったのです。
住宅密集地に住んでいたため、未明から鳴き始める彼らの声は響いていたと思います。
同居人が飼ったけれど大人になるまで育てたのは私なので、近所の方々の迷惑にならないような、近隣に人の少ない場所を昨年から探していました。
有機栽培をしようと思えば、畑もいずれ返さなくてはならない土地ではなく、自分で買わなくてはいけません。
ちょうど田舎移住した直後に始まった騒動のおかげで、好きな国に行くことも面倒な手続きを踏まなくてはいけなくなりました。
そして、私もあとは死ぬだけという人生。
今日死んでもいいように、本当にやりたいことをやるためにそういう場所に行く必要があったのです。
リンジーたちが迷惑にならないところで(人間が勝手に迷惑がるだけで彼らは普通に生きてますが)かつ、
土づくりが無駄にならず、環境破壊もしなくていいような自然の多い地域。
そして子供たちにとってメリットがあり、静かな処。
必要な造りは在れとこれと・・・・・・・
「天に任せておけば、その場所に立った時に絶対にわかる」
そう思っていたら、出会ったのです。
私が住むしかないような気がしました。
なので造りも何も確認せずに即決。
何が起きても必然と考え、全て前向きに捉えることにしました。
まだ掃除も全部終わらないような家ですが、片付けながら何度も頭をよぎったイメージがあります。
今のところ同居人と娘がついてきていますが、今後はどうするか知りません。
同居人は仕事をするために一緒にいる相手です。
周囲は夫婦と思っているようですが(笑)
さて、イメージが物質化するのでしょうか。
面白いノンフィクションファンタジーが描けそうです。
先ずはご報告まで。
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