随筆 63

世の中には、名前も出さずにライターという内職をして、一本いくらでお金をもらって記事を書いている人と、きちんと素性を明かして記事を書いている人がいる。

内容の如何は別として、素性を明かして書いている人、例えばジャーナリストなどからは、物凄い覚悟を感じることがある。

私もこれでもノンフィクションを書いているので、登場人物全員における責任が発生する。覚悟がないと書けないのである。

だからノンフィクションだとしても、事実として確かに在った他者の言動や行動を一切省かなくてならない場合もある。

ノンフィクションゆえ、今の時代、辿れば簡単に本人に行き着く。あの言動を本にされたら、言い訳と責任転嫁のオンパレードで御本人が生きていく羽目になるか、素直に「はいその通りです」と認めるかの二択になるだろう。

面倒な名誉毀損などの裁判沙汰になることが必至で、録音テープでもない限り書くことは避けるのがスタンダードである。

記憶力には個体差があり、ニンゲンの脳はうまくできていて、本当に自分に都合よく記憶を塗り替えてしまう人もいる。絶対ということは、確かにあり得ない。

だから、映画化などをする場合は、書いていること以外の場面がたくさん出てくるだろうが「事実をもとにしたフィクションです」として、私のみた世界すべてを創作していただきたいと願う(笑)

かつて、ウェブで好評を得た22歳下の彼と旦那の話も、大幅に省いた。もしあれを本にするとしたらある程度事実を書きたいと思うが、私からみた人々の捉え方になるので、やはりノンフィクションといえど、主観的な創作ともいえるのかもしれない。

脳の電気信号とはとても面白いものである。

昨日道をきかれて駅まで案内したオーストラリア人男性が、電車に乗る前に

「御礼に珈琲でもどう?」

と言うのでご馳走になった。

家族構成や仕事を尋ねられたので、正直に答えたあと

真実は虚無 リアルはファンタジー

と伝えると唸っていた。

「これは誰の言葉?」

「Mahiroの言葉!」

脳の電気信号について考えを述べると、確かにそうだよねと。

国境をこえて、年齢をこえて、人種をこえても、同じことは同じ。

「今から仕事なので」

って握手して別れたけど、このような一期一会の繰り返しで人は生きていけるので、孤独になりようがないと私は常々思っている。

「あなたはストレスフリーだね」

と言われた。

ほーらやっぱり人間同士、きちんと伝わるものは伝わるんだ(笑)

嘘つきは他人だけでなく、自分を不幸にする。

善悪や優劣を決めつける傲慢さがなければ、嘘をつく必要性がなくなる。

まずは、たかが一生物の自分の傲慢さを自覚するところから、正直に生きるストレスフリーな人生が始まる。

嫌われたって、それは自分と合わない人が自然に淘汰されたと喜んでいればよい。

全員に好かれようなんていう浅ましさの方が気持ち悪いと私は思うのだ(笑)

そう思って生きてきたはずなのに、なんだか私を信じてくれている人たちがいる。

本当にビックリする。

奇跡的すぎる。

ありがとう。

こんな文章読んでくれてるあなたにも心からありがとう。

いつか皆さんともお会いできたらいいな。

 

 

 

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